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『旅日記』~バイク一人旅~

日本とオーストラリアを旅した温泉好きライダーのページ
August 23

甲斐駒ケ岳③

七丈小屋
 
15時10分頃に五合目小屋跡に到着。
<余力があとどれだけあるのだろう。>
 
これでもか、というくらいに梯子や鎖場が登場するではないか!
足場を気にしながら片手で鎖を掴み、もう片手で岩を掴む。
「えい!」と、ほぼ懸垂運動をするかのように岸壁をよじ登る。
 
 
一つ鎖場をクリアしたかと思えば、次はほぼ垂直にかかる長い梯子。
しばし足を止め、息を整えて、気力を奮い立たせてから登る。
そうしないと注意力散漫になって転落してしまうかと思ったからだ。
 
疲れた体に追撃の手は休むことなく襲い掛かる。
と言えば大げさかも知れないが、登っている時はそう感じたのだ。
<一体どうやって登るのだ?>
 
 
崖を登ってようやく歩く。
その先に小屋らしき建物が!
16時40分。七丈小屋に到着。
 
小屋の中に入って受付を・・・薄暗い室内に先客が3名ほどいた。
管理人さんが台帳を持ってきて受付を済ませる。
登山道入口にも掲示があったが、ヘリコプターの荷揚げがないようで食事提供なし。
素泊まり(寝具つき)で4500円。
 
僕はこれまでに泊まった山小屋は、八ヶ岳と北アルプスだけで、南アルプスでは初めてだ。
一昨年泊まった燕山荘は、まるでホテルのような規模に対して、ここは・・・。
 
静かである。
室内はストーブが焚かれていて暖かく、ヤカンのお湯は自由に使っても良いようだ。
外には水場もある。しかも、衛生検査に合格した天然水だ。
<山に来て、水がタダで手に入るとは・・・>
北アルプスとの違いに驚いた。
 
先客のおじさんたちと話をしながら、僕は持ってきたアルファ米を炊いて夕食に。
アルファ米とは下調理がなされた米で、すぐに炊き上がるという代物。
登山では非常に重宝する。
 
ここまでの登りでバテた体に食事は大切なエネルギー補給なのだ。
食事を楽しむということよりも、むしろ明日のための栄養補給といった意味合いが強い。
食後は管理人さんがくれたドリップ式コーヒーを飲んで、登山者たちと語らいのひとときを過ごした。
 
管理人さんは朴訥な印象で、ややとっつきにくい感があったがキノコに詳しいようで、
マツタケや食べられないキノコなどの話をしてくれた。
 
登山道の草刈や梯子、鎖の付け替えなどは管理人さんがやっているらしい。
30年後も使える設備を考えているようで、確かに道中の梯子や鎖はしっかりしているものだった。
小屋自体も質素ながら清潔で、トイレも綺麗だった。
 
この日の宿泊者の中で僕が最年少だった。
登山者は中高年が多いが、今年80歳になるという人がいたことには驚いた。
<80歳であの登りを上がってきたのか!>
ここまで登ってきてフラフラになっている自分が情けなく思われた。
 
黒戸尾根を登ってきて、満足な気分に浸っていた僕にとって
冷水をかけられたような心境だった。
僕がここまで登ってこれたのは僕だけの力じゃないんだ。
 
黒戸尾根ルートを拓いた古の修験者たち。
登山道を整備している管理人さんたち。
切り株に「あと15分」と書いて僕に元気を与えてくれた人。
山小屋に同泊の人たち。
僕が無事に帰って来るのを待っていてくれる人たち・・・。
いろいろな人たちの思いに支えられて登っているのだ。
 
管理人さんが言っていた。
登山道を歩いて頂上を目指す。それはそれでいい。
しかし、登山道なんていうのは山のごく一部に過ぎない。
山の楽しさはそれ以外のところにもたくさんあるのだ。
 
僕はどれだけ山を楽しんでいるのだろうか・・・。
頂上に立ったときの達成感、素晴らしい展望、下山後の温泉。
それも否定はできないが、僕は管理人さんの言う「楽しさ」をまだ知らないように思った。
 
「外はガスが晴れてきれいに星が見えますよ」
 
同泊の人の声に、僕も外へ出てみた。
夜空を見上げると、数え切れないほどの星が瞬いていた。
天の川が僕を見下ろしている。
いつまでもこうして眺めていたい夜空だった。
 
山小屋の夜は早い。
20時。明日に向かって眠りに着いた。
 
つづく
 
 
 
August 22

甲斐駒ケ岳②

五合目まで
 
刃渡りを無事に通過した頃から山中にはガスがかかってきた。時刻は14時頃。
午後になるとガスがかかりやすいと調べた中に書いてあったのを思い出した。
そんな霧の先に梯子のようなものが見えてきた。
 
 
まさに梯子である。
落ちたら洒落にならないので、慎重に登って行く。
急登のあとの梯子や鎖場は体にこたえる。
但し、この程度のものはほんの序章に過ぎなかった。
 
梯子や鎖場を通過して、刀利天狗という社に着いたのが14時20分頃。
こんな山中に社を建てるとは昔の人は大変だったろうと思った。
それも駒ケ岳に懸ける信仰心によるものだろう。
 
 
と同時に、梯子や鎖がしっかりと付けられていることも驚きだった。
僕のイメージでは黒戸尾根はかつてのメインルートで、今や登る人も少ないルート。
だから、寂れた道なのではないかと思っていた。
 
ところが、登山道はきちんと整備されており、熊笹なども刈ってあった。
登山道で草刈機を見かけたくらいだ。
道に迷う心配もなく、廃道寸前だと思っていた僕のイメージは一転した。
しかし、登る人は見かけない。
 
霧の中を進んでいくと、まもなく五合目のはずだ。
しかし、登っても登っても着かない。
樹林帯の中をひたすら登る。
気分的にもうんざりとしてくる。
 
<何でこんなきつい思いをして登っているんだ?>
<これも一種の修行だ。>
 
僕の中で自問自答が繰り返される。
誰に登れと言われたわけでもなく、登ったからと言って何かもらえるわけでもない。
登ったという自己満足に浸るだけの話である。
 
辛いこと、苦しいことはたくさんある。
それらを上手くかわして、楽に生きていくこともいい。
しかし、時には苦しい道、厳しい道も、困難を乗り越えるためには必要なことだろう。
だから僕はこうして登っているんだ。
 
道の脇に小さな切り株を見つけた。
どうやら五合目小屋跡まであと15分という意味だろう。
ほんの小さなことだが、元気百倍で足が前に出る。
 
 
五合目小屋跡にたどり着いたのは15時10分頃。
あたりは霧に包まれて、休んでいると寒くなってくる。
 
かつて甲斐駒ケ岳へのメインルートであった頃は、登山者も多くて経営も成り立ったのだろう。
しかし、南アルプス林道が開通し、北沢峠からのルートがメインとなってから変わってしまったのだろう。
昔はここでどんな人たちが山旅を語り合ったのだろうか。
まさに、兵どもが夢の跡・・・である。
 
 
つづく
 
 
 
August 21

甲斐駒ケ岳①

黒戸尾根から
 
僕はタクシーの窓から深い緑の山々を眺めていた。
<僕が登ろうとしている甲斐駒ケ岳はどの山なんだろうか。>
 
韮崎駅から約30分(約7千円)で尾白川渓谷駐車場についた。
皇太子殿下もここから登られたようで、記念碑が建っていた。
ここから竹宇(ちくう)駒ケ岳神社へ足を進める。
 
甲斐駒ケ岳は古くから信仰の山として登られてきた。
麓の駒ケ岳神社には石碑や矛が祀られている。
神社を通り抜け、森の中へ続く登山道へ僕は一歩足を踏み入れた。
 
 
 
今回の登山ルートは黒戸尾根から山頂を目指す道で、これは信仰の道でもある。
僕が黒戸尾根を目指す理由は何だろうか。
 
まず、修験者たちが登った同じ道を歩くことによって、古人の思いの一端にでも触れられればと思ったから。
そして、『日本三大急登』の一つに挙げられる黒戸尾根に挑戦してみたいと思ったからだ。
半月ほど前にNHKで放映された「小さな旅」を見たことも心惹かれる理由の一つだ。
 
朝10時に出発。
きついコースだということを肝に銘じて登っていく。
樹林帯の道は急な登りだが、一歩ずつゆっくりと歩みを進める。
覚悟を決めて登っているだけに、それほどきつくは感じなかった。
しかし、それは最初のうちだけだった・・・。
 
登り始めて約2時間で笹ノ平に到着。
ここは横手駒ケ岳神社からの登山ルートとの合流地点である。
ここから八丁登りと呼ばれる長い登りが続く。
道の傍らには信仰を表す石碑が点在している。
古人もこの長い登りを歩いてきたのだ。
 
 
笹ノ平から約1時間40分で、「刃渡り」と呼ばれる難所にたどり着いた。
切り立った岩の背の部分を通らなくてはならない。
崖下に滑落したら遭難間違いなしだ。
 
 
 
 
慎重に渡ってゆく。
しかし、しっかりとした鎖があるので慎重に通れば問題はなかった。
これで難所をクリアしたと胸を撫で下ろしたが、本当の意味での難所はこれからだった。
 
つづく
 
 
 
June 14

鎌倉あじさい紀行

雨の季節に似合うもの―それは、あじさいの花だと思う。
どんよりとした厚い雲に覆われ、しとしと降る梅雨時、人々の目を引く季節の花だと思う。
 
あじさいの名所と言えば、関東地方では「あじさい寺」の異名のある鎌倉・明月院だろう。
境内の参道沿いにあじさいの株が植わっていて、美しい花が見る人の気持ちに感動を呼び起こす。
 
 
近所の生垣に植わっているあじさいもいいが、これだけの数がまとまって植わっていると趣が変わってくる。
薄い青色、深い紫色、白いもの・・・花の大きさも、手のひらほどのものから子供の顔くらいありそうなものまで。
 
雨の石畳。古いお堂が一つ。水溜りに映える一輪のあじさい。
 
そんな趣を期待して鎌倉を訪ねたのだが、実際は観光客で混み合っていた。
やはり、一番の見頃を迎えた名所に人が来ないわけはない。
 
 
北鎌倉駅では電車が到着するたびに大勢の人が降りるので、改札で行列ができる。
明月院に向かう道ですでに長い行列ができている。
もちろん、境内も混雑しているが、予想していたよりは花を楽しむことができた。
 
明月院の後、江ノ電に乗って長谷寺へ。
ここもあじさいの名所として知られている。
ところが、午後ということもあり長蛇の列ができていた。
 
急遽、予定を変更し、近くにある光則寺へ。
ここも花の寺として有名だが、長谷寺ほど混み合うこともなく、のんびりできる。
 
 
境内にはあじさいだけではなく、いろいろな花が植えられている。
そして、なぜか孔雀も飼われていた・・・。
 
雪のように白い花に心洗われる思いがした。
 
 
 
 
May 06

鶏冠山

青梅街道を奥多摩から大菩薩方面へ抜けると、柳沢峠がある。
この時期は新緑が鮮やかで、バイクで走っていても気持ちがいい。
峠の茶屋にはライダーたちが一息入れていた。
 
僕は柳沢峠の駐車場にバイクを停め、ザックを背負い、山へと入っていく。
他のライダーたちから見ると僕は風変わりなライダーだろう。
 
 
今回目指す山は、鶏冠山(1,710m)という山で、山梨百名山にも選ばれている山である。
柳沢峠の標高が1,470mなので、標高差は240m。
今シーズン初の山行としては、ほどよいトレーニングになるだろう。
 
それともう一つ、今回は新しい登山靴のデビュー戦であった。
昨年に購入した登山靴だったが、なかなか山自体に出かける機会がなく、今回に至ってしまったわけだ。
足慣らしも兼ねての山行がスタートした。
 
登山道はきちんと整備されており、道幅もあって非常に歩きやすい。
林道歩きのような感覚で、平坦な道が続く。
ハイキングコースにもなっていて、初級者でも無理なく山歩きを楽しめるコースだ。
 
 
あまりにも平坦な、整備された道が続き、物足りなさを感じ始めたころ、横手峠を越えた辺りから山道らしくなってくる。
一歩ずつ、ゆっくりと歩いて行く。
時おり、木々の間から覗く青空を見上げてみたり、道端の植物を見たり、歩き急がないことを心がけた。
 
なぜなら、腰痛・膝痛予防のために。
以前はスタスタと登っていたが、今回は腰痛対策としての山行でもあるので、無理をせずに登ることにした。
 
そして、展望のよい場所に着いた。
この風景を眺めながら、軽食を摂る。
カレーパンが最高に美味い。
 
 
鶏冠山神社と書かれた標識に従って歩くと、鶏冠山の山頂だ。
絶壁の岩場に小さな祠が祀ってある。
 
 
山頂は狭いので、2~3人でいっぱいになってしまうほど。
しかし、僕が着いたときは僕だけしかいなかった。
 
今回はコース自体が歩きやすかったのだが、それにしても登山靴の効果はあった。
まず、足が疲れにくい。
平地を歩くときは、登山靴では重いのだが、山道に入るとその効果が発揮される。
岩や木の根につま先をぶつけても、足にダメージはなかった。
 
以前の靴(運動靴)では、爪が割れたり、内出血をしたものだった。
やはり登山をする上で、登山靴はケチってはいけないと実感できた。
腰も膝も痛くなかったので、今回の山行は成功だ。
 
次はどんな山の景色が楽しめるだろう。
 
 
 
March 29

夜桜見物

東京で桜の名所の一つに千鳥ヶ淵があります。
 
以前、桜のシーズンに行った時は花見見物の人たちで大混雑でした。
今年は…先週は冬に逆戻りの寒さで、開花がストップ。
そのせいか、人出は少なくて、花は少なかったけどのんびり見ることができました。
 
木にもよりますが、3~4分咲きといったところ。
夕方6時半からはライトアップされて、夜桜見物ができます。
 
 
東京の夜景も綺麗に見えます。
 
 
隣りの靖国神社では「千代田さくらまつり」が開催されていました。
 
 
 
 
February 21

春はそこまで・・・

古来、「花」と言えば「梅の花」を指していた。
 
2月は梅の花が咲く時期である。
吐く息が白い通勤の朝。
近所の家の庭先に美しい「花」が季節の移り変わりを感じさせてくれる。
 
今日は新宿御苑を散策し、可憐な白梅、目に鮮やかな紅梅を楽しむことができた。
2月とは言うものの、好天に恵まれた新宿御苑は、降り注ぐ日差しが暖かかった。
 
苑内を歩くと、一本の木に人々が注目していた。
何だろう?そう思って、近づくと、それは桜であった。
 
 
早咲きの桜として知られる「河津桜」だ。
あと一月もすればソメイヨシノが咲く頃だろう。
 
春が待ち遠しいのは、寒い冬があるからこそ。
冬には冬の楽しみもあり、楽しみをいかに見出すか。
日々の生活、大げさに言えば、人生も同じかも知れない。
 
春はそこまで・・・。
 
 
 
 
 
 
 
February 07

ニッポン島紀行~硫黄島編②

港に船が着くと、おおげさな言い方かも知れないが、島民総出で船を迎える。
「どんな人が島に入ってきたか」
島の人たちにとってみれば、新顔を確認することも治安上大切なことだと聞いた。
 
食料品等の貨物が次々とクレーンで下ろされる。
僕の自転車も、和田君の原付もクレーンに吊るされていた。
 
「さて、和田君。どこへ行こうか?」
「まずはキャンプ場へ行きましょう」
 
僕たちは島の管理事務所で手続きを終えて、港からほど近いキャンプ場にテントを張った。
わずか2張りのテントのみ。
キャンプ道具持参でやって来る旅人は少ないのだろうか。
 
キャンプ場には銅像が建っていた。
絶海の果てに届かぬ手を伸ばし、悲壮感漂う俊寛の像。
 
俊寛とは平安時代末期の僧で、平家打倒の陰謀を企てたとして(鹿ヶ谷事件 1177年)
鬼界島に流された人物である。やがて、罪許されて京に戻れることになると思いきや、
俊寛だけは許されず、「私も乗せておくれ」と涙ながらに沖へ去ってゆく船を見送ったという。
その鬼界島が、現在の硫黄島であると言われている。
 
昔日の歴史物語に思いを馳せながら、僕たちは島内を巡ることにした。
島には信号機はない。簡易舗装の細い道が続いている。
道は思いのほか急峻である。
 
ふと、道の先に何かが動いた。
「和田君、あれは何かな」
「キジじゃないか」
 
キジにしては大きすぎると思った。
よく見ると、それは孔雀だった。
道の先には数羽の孔雀が群れていた。
 
「孔雀もウジャウジャいると気味が悪いな・・・」
かつて、リゾート開発のために連れて来られた孔雀が、野生化したものだという。
島の人に聞いたところ、孔雀の肉は不味いらしい。
 
リゾート開発には失敗したが、今では孔雀の島となっていた。
白い孔雀を見ると幸せが訪れるという。
僕たちは島滞在中に何度も目にしたのだが・・・。
 
静かな森の中に、小さく佇む墓標。
それは平家滅亡時、壇ノ浦(山口県)で海へ身を投げた安徳天皇の墓であった。
 
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。・・・」
の冒頭で有名な平家物語の時代。源平最後の決戦となった、壇ノ浦の戦い(1185年)でわずか
7歳の幼帝・安徳天皇は、「波の下にも都はございます・・・」と家臣たちとともに入水し、平家は滅亡した。
 
ところが、伝説によると、密かに壇ノ浦を落ち延びた安徳天皇主従はこの島にたどり着き、
ひっそりと余生を送ったという。
 
 
平家落人伝説の一つである。
日本全国に平家落人の里が存在する。
例えば、栃木県の湯西川や徳島県の祖谷が有名である。
 
真偽のほどは確かでないにしても、俊寛に安徳天皇といった歴史ロマンが残る島なのだ。
 
つづく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
February 01

ニッポン島紀行~硫黄島編①

島にはそれぞれ独自の雰囲気がある。
隣りの島に行くと、まるで別の国に来たかのような印象を持つこともある。
大げさな言い方かも知れないが、島はそれぞれが「独立国」なのだ。
 
僕が硫黄島を訪れたのは1997年の夏のことだった。
まず、硫黄島について簡単に説明しておこう。
僕が訪れた硫黄島(鹿児島県)は、太平洋戦争の激戦地となった硫黄島(東京都)ではない。
鹿児島市から南に行くこと約100キロの東シナ海上に浮かぶ人口100名程度の火山島である。
 
位置はちょうど九州本土と屋久島との間にあると思ってもらえばいいだろう。
硫黄島・竹島・黒島の3島がひとつの行政単位として三島村を構成している。
ただし、村役場は島内にはなく、鹿児島市内にあるという一風変わった村である。
 
僕が硫黄島を知ったのは、その当時、自転車で屋久島を旅していたときのことだった。
硫黄島には絶景の露天風呂があるらしいという噂を、屋久島で出会った旅人たちから聞いた。
温泉好きな僕としては、絶景の露天風呂があると聞いて、行かないわけにはいかないだろう。
僕は屋久島で知り合った「和田くん」と一緒に硫黄島へ渡ってみることにしたのだ。
 
鹿児島港から村営船・みしまに乗船する。
この船は週に2~3便しかないので、出航日を事前に確認しておく必要がある。
さらに、天候によっては何日も欠航になる可能性もあるので、天気も要チェックである。
無事に出航した村営船みしまは真っ青な東シナ海を進み行き、やがて海の向こうに白い噴煙をあげる陸地が見えてきた。
硫黄岳。海抜ゼロからそびえ立つ標高703mの山容は荒々しい山肌と、険しく切り立った崖が余人を寄せ付けないような
一種の威圧感がある。
 
 
他方、海には火山の硫黄成分が流れ出たせいだろうか、エメラルドグリーンの絵の具を溶かしたかのように
海を彩っている。厳しい表情を見せる陸と、美しく彩られた海。この島は果たして僕たち旅人を歓迎しているのだろうか、
それとも・・・これから始まる島の旅に胸を躍らせていた。
 
 
 
つづく
 
 
 
 
 
 
January 04

横浜にて

新年あけましておめでとうございます。
今年最初のお出かけは、おしゃれな街、横浜。
 
お昼を食べに中華街へ。
本場の麻婆豆腐が有名な店へ。
色が黒々としており、普通の麻婆豆腐とは違っている。
食べてみると、山椒が利いていて辛い。
でも、激辛というわけでもなくちゃんと食べられた。
 
食後は港の見える丘公園へ。
白い船が真っ青な海を進む。
その向こうには横浜ベイブリッジが白く輝いていた。
 
 
それから中華街に戻って、フカヒレまんを買って食べ歩き。
申し訳程度にフカヒレらしきものが入っていたけど、本当にフカヒレなんだろうか??
中華街にはいろんな店があって、ブラブラ歩くだけで中国旅行気分が味わえる。
雑貨屋とか食料品店を覗いて回るのも楽しい。
乾燥タツノオトシゴとか売っていたけど、一体誰が買うんだろう?
 
それから、寒い風にあおられながら、みなとみらいまで歩いた。
一日歩いたので帰りはやや疲れたが、楽しい一日だった。
こういう休日もいいものだ。
 
 
 
December 31

ゆく年くる年

2008年は仕事に追われた一年だったと思います。
 
転職して2年目ということもあり、任される業務も増えてきました。
と同時に、果たさなければならない責任も増えたわけです。
 
残業も休日出勤も増えましたが、それは自分に課された責任を全うするため。
要領が悪くて仕事が遅いという反省もありますが、確実に仕事を進めたいと思っています。
 
誰だって早く帰りたいし、休みの日には家でのんびりしていたい。
だけど、誰かがやらなければいけない仕事もあるわけです。
面倒くさくて、地味で、他人がやりたがらない業務。
 
その「誰か」に誰がなるか?
 
今年のブログを眺めて、「あまり出掛けていないなぁ」としみじみ思いました。
山にもあまり登っていないし、ツーリングにも出掛けていないし、新規の温泉開拓も・・・。
 
来年は、仕事の忙しさもありますが、メリハリつけていきたいと思います。
B級温泉めぐりツーリング。
夏山登山。
歴史探訪の旅・・・。
 
そして、楽しいブログにしていきたいものです。
いつもアクセスして下さる皆さん、どうもありがとうございます。
それでは、よいお年を。
 
 
 
 
November 16

ジェベル復活!!

ジェベルが復活しました!
毎日乗っているわけではないけれど、いつもの場所にないと寂しい・・・。
 
今日、バイクショップに引き取りに行き、久しぶりのご対面。
ステーターという部品を交換したので、予算金額をはるかにオーバーしてしまったけれど、
やっぱりバイクに乗れるのは嬉しい。
 
本当は先週にも引取りの予定だったのだが、先週末は腰痛再発で歩行困難に・・・。
寝返りも打てないほど痛みがひどく、先週火曜日には午前半休をもらって病院へ。
まぁ、いつものことだけど、痛み止め薬よ湿布をもらって会社へ。
 
腰の調子はだいぶ良くなってきたけど、完全復活まではもうちょっとかかりそう。
November 02

ジェベル入院

僕のジェベル250は只今入院中なのです。
 
先週、バイクに乗って実家に行くときセルが回りませんでした。
「しばらく乗っていなかったからかな?」
 
ジェベルにはキック式ペダルが付いているので、そっちでエンジン始動。
動き出せば、全く問題はなかったものの、エンジンを切って、再始動するときセルは動かず・・・。
 
そろそろ点検の時期だな、と思ってバイクショップへ。
去年バッテリーを換えたばかりなので、充電してもらえば大丈夫かなと思っていました。
 
今日、バイクショップから電話がありました。
「ステーターが寿命のようで・・・」
「ステーター??」
 
バッテリーに問題はなかったのだが、ステーターという電気系統の部品が寿命を迎えたようです。
ジェベルを買ってから約5万キロを走ったが、ショップに人によれば、もった方だとのこと。
 
で、ステーターって何かしら?
バイクは走りながら電気を作って蓄電するようだけど、その蓄電するためのパーツらしい・・・!?
とりさん、説明はこんな感じで合っていますか?
 
部品注文の上、交換ということで入院期間が延びました。
で、部品代が約3万・・・妥当な金額なのでしょうか?
 
目指せ10万キロ!という心意気なので、まだまだ乗りますよ。
せっかくの秋晴れの休日にバイクがないのは何ともつらい!
 
 
October 18

川苔山

■滝めぐりの山行■
 
川苔山(かわのりやま)は標高1,363mの、奥多摩では人気のある山である。
奥多摩駅付近から分岐する日原(にっぱら)街道を奥へと進む。
道はだんだん狭くなり、僕の好きな”山奥ムード”を感じさせてくれる。
 
川乗橋から川乗林道へ入りたいのだが、ここは通年通行止めになっており、
いつも鉄格子の頑丈なゲートが僕の行く手を阻んでいた。
仕方がないので、わずかな空きスペースにバイクを停めようとしたところ、
管理人らしき老人が何やら僕に合図を送ってくる。
「ここに停めるな!」ってことかな・・・。
 
ところが、「ここから先は自己責任で・・・」ということで、ゲートを開けてくれるではないか。
ラッキーなことに、未実走の林道を走れることになった。
林道とはいっても、舗装林道である。
 
意外と道は整備されていた。
何故、いつも通行止めなのかよく分からない。
それより、何故今日は入れたのか、もっと分からなかった。
 
細倉橋でバイクを停めて、いよいよ登山道へ。
一般ハイカーの人たちは、この林道を歩いて登っているので少々申し訳ないような気もした。
 
登山道は歩きやすく、渓谷美が存分に楽しめる。
いくつかの滝や渓流の眺めを楽しみながら、歩いて行く。
 
PICT0037
 
しかし、この川苔山は遭難が多い。
転倒・滑落で死亡事故が多発しているのだ。
 
渓流沿いなので、雨あがりは増水するであろうし、滑りやすくもなる。
冬場は恐らく道が凍結するであろう。
 
どういう事情か分からないが、追悼のレリーフがあった。
昭和53年に18歳の若さで亡くなった人のものだった。
故人のご冥福を祈りながら、山道を進む。
 
PICT0041
 
やがて、ひときわ大きな滝の音が聞こえてくる。
百尋(ひゃくひろ)の滝だ。
 
PICT0047
 
見事な美しさ。
落差があるのだが、どことなく優しく、女性的な印象を与える滝だと思った。
山奥に年若くして隠遁した乙女・・・そんな娘はいるわけがない(笑)
しかし、そんな風に感じた。
 
百尋の滝のすぐ近くに断崖絶壁がある。
僕は勝手に”川苔パットレス”と名づけてしまった。
 
PICT0048
 
ここまでの道は、大したことのない山道だった。
ここからが登りの山道になる。
 
雑木林の中を歩くと、ところどころ紅葉が進んでいるのが分かる。
足元には落葉。そして、栗も沢山落ちていた。
 
PICT0049
 
秋を感じながらの山行は気持ちがよい。
夏場は暑すぎて大変だろう。この季節がちょうどよいのだと思う。
 
足毛岩を回るルートで山頂を目指す。
急登が続き、「これを登りきったら頂上に違いない!」と思いながら、3回もガッカリしてしまった。
そして、4回目でようやく山頂へ。
 
PICT0052
 
山頂は20人位の登山客で賑わっていた。
12時半頃だったので、ちょうど昼ごはんを食べている人が多かった。
僕もパンをかじりながら、持ってきたストーブでお湯を沸かす。
カップスープとコーヒーを入れた。
 
山で飲むコーヒーは格別な味わいがある。
それと、温かいものを食べると体が休まる。
ちょっと荷物にはなるが、山行を引き立てるアイテムであることには違いない。
 
山頂は広々としており、西斜面からは雲取山(東京都最高峰)方面がよく見える。
暑くもなく、寒くもなく、非常に心地よく、つい長居をしたくなったが下山を開始する。
 
PICT0053
 
紅葉の見頃は11月初旬だろうか。
 
PICT0057
 
天気にも恵まれた山行であった。
下山後は、奥多摩もえぎの湯で一汗ながしたあと、家路についた。
 
 
 
October 13

もう1年半?まだ1年半?

先日、職場での何気ない会話の中で。
 
「旅人くんはここに来てどれくらいになった?」
「1年半になりました」
「あれっ?そんなもんだったっけ?てっきり3,4年になるものだと思ってたんだけど・・・」
 
同じようなことを他の人たちからも言われたのは、内心嬉しかった。
「もう1年半」と思うか「まだ1年半」と思うかは人それぞれだと思うが、多少なりとも存在感が出てきたのは嬉しいことだ。
 
と同時に、任される仕事も増えてくるし、頼まれごとも増えてくる。
忙しい時に、あれもこれもとやるべきことが増えていくと手が回らなくなる。
しかし、頼む人は「こいつならやってくれるだろう」と思っているはず。
 
松下幸之助の『社員稼業』(PHP文庫)という本の中に、こう書かれている。
 
>自分は単なる会社の一社員ではなく、社員という独立した事業を営む主人公であり、経営者である、
>自分は社員稼業の店主である、というように考えてみてはどうか・・・自分が社員稼業の店主であるとなれば、
>上役も同僚も後輩も、みんなわが店のお得意でありお客さんである。
 
小さなことでもコツコツと積み重ねることによって、実力がついていくのだと思う。
一夜にして急成長を遂げることはなくても、昨日より今日、今日より明日、と毎日の積み重ねが大事だと思う。
そんな当たり前のことに、何度も何度も転職を重ね、30代半ばに差し掛かってようやく気がついてきたようだ。
 
 
 

LEO

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20歳のときに自転車で北海道まで行って以来旅にはまり、学生時代に自転車で日本一周。社会人となってからバイクで各地を周る。その後、ワーキングホリデーでオーストラリアへ。大陸一周し無事帰国。そして日本の良さを再確認したいと思い、日本列島縦断の旅へ。テントと寝袋を持って温泉をめぐる浮世離れ系ライダーです。
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