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    07 februari

    ニッポン島紀行~硫黄島編②

    港に船が着くと、おおげさな言い方かも知れないが、島民総出で船を迎える。
    「どんな人が島に入ってきたか」
    島の人たちにとってみれば、新顔を確認することも治安上大切なことだと聞いた。
     
    食料品等の貨物が次々とクレーンで下ろされる。
    僕の自転車も、和田君の原付もクレーンに吊るされていた。
     
    「さて、和田君。どこへ行こうか?」
    「まずはキャンプ場へ行きましょう」
     
    僕たちは島の管理事務所で手続きを終えて、港からほど近いキャンプ場にテントを張った。
    わずか2張りのテントのみ。
    キャンプ道具持参でやって来る旅人は少ないのだろうか。
     
    キャンプ場には銅像が建っていた。
    絶海の果てに届かぬ手を伸ばし、悲壮感漂う俊寛の像。
     
    俊寛とは平安時代末期の僧で、平家打倒の陰謀を企てたとして(鹿ヶ谷事件 1177年)
    鬼界島に流された人物である。やがて、罪許されて京に戻れることになると思いきや、
    俊寛だけは許されず、「私も乗せておくれ」と涙ながらに沖へ去ってゆく船を見送ったという。
    その鬼界島が、現在の硫黄島であると言われている。
     
    昔日の歴史物語に思いを馳せながら、僕たちは島内を巡ることにした。
    島には信号機はない。簡易舗装の細い道が続いている。
    道は思いのほか急峻である。
     
    ふと、道の先に何かが動いた。
    「和田君、あれは何かな」
    「キジじゃないか」
     
    キジにしては大きすぎると思った。
    よく見ると、それは孔雀だった。
    道の先には数羽の孔雀が群れていた。
     
    「孔雀もウジャウジャいると気味が悪いな・・・」
    かつて、リゾート開発のために連れて来られた孔雀が、野生化したものだという。
    島の人に聞いたところ、孔雀の肉は不味いらしい。
     
    リゾート開発には失敗したが、今では孔雀の島となっていた。
    白い孔雀を見ると幸せが訪れるという。
    僕たちは島滞在中に何度も目にしたのだが・・・。
     
    静かな森の中に、小さく佇む墓標。
    それは平家滅亡時、壇ノ浦(山口県)で海へ身を投げた安徳天皇の墓であった。
     
    「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。・・・」
    の冒頭で有名な平家物語の時代。源平最後の決戦となった、壇ノ浦の戦い(1185年)でわずか
    7歳の幼帝・安徳天皇は、「波の下にも都はございます・・・」と家臣たちとともに入水し、平家は滅亡した。
     
    ところが、伝説によると、密かに壇ノ浦を落ち延びた安徳天皇主従はこの島にたどり着き、
    ひっそりと余生を送ったという。
     
     
    平家落人伝説の一つである。
    日本全国に平家落人の里が存在する。
    例えば、栃木県の湯西川や徳島県の祖谷が有名である。
     
    真偽のほどは確かでないにしても、俊寛に安徳天皇といった歴史ロマンが残る島なのだ。
     
    つづく
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    01 februari

    ニッポン島紀行~硫黄島編①

    島にはそれぞれ独自の雰囲気がある。
    隣りの島に行くと、まるで別の国に来たかのような印象を持つこともある。
    大げさな言い方かも知れないが、島はそれぞれが「独立国」なのだ。
     
    僕が硫黄島を訪れたのは1997年の夏のことだった。
    まず、硫黄島について簡単に説明しておこう。
    僕が訪れた硫黄島(鹿児島県)は、太平洋戦争の激戦地となった硫黄島(東京都)ではない。
    鹿児島市から南に行くこと約100キロの東シナ海上に浮かぶ人口100名程度の火山島である。
     
    位置はちょうど九州本土と屋久島との間にあると思ってもらえばいいだろう。
    硫黄島・竹島・黒島の3島がひとつの行政単位として三島村を構成している。
    ただし、村役場は島内にはなく、鹿児島市内にあるという一風変わった村である。
     
    僕が硫黄島を知ったのは、その当時、自転車で屋久島を旅していたときのことだった。
    硫黄島には絶景の露天風呂があるらしいという噂を、屋久島で出会った旅人たちから聞いた。
    温泉好きな僕としては、絶景の露天風呂があると聞いて、行かないわけにはいかないだろう。
    僕は屋久島で知り合った「和田くん」と一緒に硫黄島へ渡ってみることにしたのだ。
     
    鹿児島港から村営船・みしまに乗船する。
    この船は週に2~3便しかないので、出航日を事前に確認しておく必要がある。
    さらに、天候によっては何日も欠航になる可能性もあるので、天気も要チェックである。
    無事に出航した村営船みしまは真っ青な東シナ海を進み行き、やがて海の向こうに白い噴煙をあげる陸地が見えてきた。
    硫黄岳。海抜ゼロからそびえ立つ標高703mの山容は荒々しい山肌と、険しく切り立った崖が余人を寄せ付けないような
    一種の威圧感がある。
     
     
    他方、海には火山の硫黄成分が流れ出たせいだろうか、エメラルドグリーンの絵の具を溶かしたかのように
    海を彩っている。厳しい表情を見せる陸と、美しく彩られた海。この島は果たして僕たち旅人を歓迎しているのだろうか、
    それとも・・・これから始まる島の旅に胸を躍らせていた。
     
     
     
    つづく
     
     
     
     
     
     
    13 juli

    北海道の思い出

    北海道の旅には吉田拓郎の曲がよく似合う。
     
    人によって思い出の曲があると思う。
    カーラジオから流れていた曲、そのころ流行っていた曲、そのときの気持ちにぴったりの曲。
    僕にとって吉田拓郎の曲を聴くと、今でもあの夏の、北の大地を思い出す。
     
    僕が初めて北海道に渡ったのは1995年の夏。
    学生だった僕は西新宿のアパートから自転車で北へ向かった。
    初日は茨城県水戸市の少し手前にある、涸沼(ひぬま)で野宿をすることになった。
     
    自転車旅が初めてなら、野宿も人生初の経験だ。
    場所を探すのに苦労して、日暮れ間際にようやく見つけた涸沼川のほとり。
     
    ♪浴衣のきみは すすきのかんざし~と『旅の宿』を口ずさみたくなるが、宿ではなく野宿だ。
    人が近くを通るたびに、犬が遠くで吼えるたびにビクビクしながら不安な一夜を過ごしたものだ。
     
    PICT0001
    涸沼川のほとりにたどり着く。川面を魚が時折パシャパシャと飛び跳ねていた。
     
    青森から青函フェリーで函館に向かう。
    函館に着くなり土砂降りの雨だった。
     
    北海道に入ると同じように旅をしている人たちに出会うことが増えた。
    ライダーが通りすがりにちょっと手を上げて合図を送ってくれる。
    ピースサインって言うんだ、と後で知った。
     
    峠を必死に登っていると、追い抜き際に車の中から身を乗り出して「がんばれ~!」と熱い声援。
    ハンドルは放せないが、心の中で大きく手を振った。
     
    大陸的風景が広がる北海道。
    見るもの全てが新鮮だった。
     
    一日の走りを終え、キャンプ場にたどり着く。
    テントを張って、近所の商店に食料を買いに行く。
     
    日本海に夕陽が落ちてゆく。
    そんな風景を見ながら米を炊き、肉と野菜を塩・胡椒で味付けをして焼く。
    シンプルな食事だが、薄紫に暮れかかる空を見ながらの食事。
    時折、潮風が僕を優しく通り過ぎる。
    何とも贅沢なひとときである。
     
    稚内からフェリーに乗って、利尻島・礼文島へ。
    礼文島では名物ユースとして有名な桃岩荘ユースに泊まった。
    噂には聞いていたが、歌あり踊りありのミーティングは楽しいひとときだった。
    それは当時20歳という年齢がそう感じさせたのかも知れない。
     
    桃岩荘ユースの行事として、夕陽の儀式があった。
    ユースの目の前には日本海が広がっており、そこに沈む夕陽を見ながら歌を歌うのだ。
    そのとき歌ったのが、『落陽』。
    ギターを持ったヘルパーさん、屋根に登って大漁旗を振るヘルパーさん。
    確かに普通のユースじゃないなと思った。
     
    礼文島を8時間かけて縦断する「愛とロマンの8時間コース」に参加した。
    このときに知り合った仲間は印象深い。
    残念ながら(?)愛とロマンは生まれなかったが、今でも数人とは友達として続いている。
     
    PICT0003
    昨日まで知らない人間同士が出会ったあの夏から10年以上の年月が流れた。みんなどうしているのだろうか…。
     
    礼文島から稚内へ戻ったあと、僕は宗谷岬を経てオホーツク海側を進んだ。
    知床では野趣満点のカムイワッカの滝を満喫した。
    これは滝壺が湯船になっているワイルドな温泉である。
     
    知床峠を越えるときに後からバイクがやってきて、「旅人くん!」と声を掛けられた。
    誰かと思ったら、礼文島で一緒に8時間コースを歩いた人だった。
    僕より一つ年上の、大阪出身にしては珍しく(?)大人しい人だった。
    彼とは東京で再会することを約束して握手を交わし、僕を追い越していく。
     
    彼は左手を大きく振って、峠越えの僕を励ましてくれた。
    やがて彼は見えなくなった。
    しかし、彼との再会は永遠に果たせない約束になってしまった。
     
    彼はこの旅の途中で不慮の事故に遭い、帰らぬ人になってしまったのだ。
    後日、旅から帰った僕のアパートに電話があった。
    「おう!今どこにいるの?」と聞いたが、その声は彼ではなく父親のものだった。
    「旅人さんから写真やはがきを頂いていたので連絡させていただきましたが、実は息子は…」
     
    根室は夏だというのに霧に包まれていて肌寒い。
    いや、北海道ではお盆を過ぎたらもう夏ではないのだ。
     
    納沙布岬から北方領土が見えた。
    この日は霧が晴れて、びっくりするほど近くに島が見える。
    ふるさとを想う人たちの気持ちが分かるような気がした。
    あんなに近くなのに戻れないとは…。
     
    霧多布岬で知り合ったライダー。
    その後、苫小牧から乗ったフェリーで偶然再会した。
    その彼とは今でもたまにバイクでツーリングに出かける。
    当時は自転車だった僕も、今ではバイクに乗って一緒にツーリング行くことになろうとは思いもしなかった。
     
    PICT0004
    この頃にはだいぶん旅慣れてきた様子だ。東京を出発して1ヶ月が経っていた。(霧多布岬にて)
     
    『襟裳岬』。僕は敢えて吉田拓郎バージョンの方が好きだ。
    岬に着くと、売店のスピーカーから森進一の『襟裳岬』が流れてくる。
     
    えりも岬ユース。ここも僕にとっては思い出深い場所の一つだ。
    桃岩荘ユースなどと並んで三大ユースと言われたほど、ミーティングが盛んなユースだった。
     
    24時間滞在可能な談話室。
    コーヒーを飲みながら、ダラダラと時間を過ごすのには最適。
    旅も長く続くと、少しくらいは漫然と時間を過ごすこともある。
     
    あまりの居心地のよさに、連泊をしてしまった。
    襟裳岬は風が強いことで有名だ。
    だから、「風が強くて走れないので戻ってきました」と連泊を申し出たのだ。
     
    すると、そこにいた男性が一言、「チャリダーのくせに軟弱だね」と。
    (※チャリダー:自転車で旅をする人のこと。ライダーをもじって作られた造語)
     
    <この人、初対面なのに何て失礼な奴だ!>と思った。
    その人はライダーでもなさそうだし、自転車でもない。宿の従業員か??
     
    コピー ~ PICT0005
    楽しく、居心地のよいユースだったが、今はない。(民宿として続いているようだ)
     
    それから4年後。僕は大学を卒業し、就職をした。
    当時、僕は会社の寮に住んでいたのだが、僕の部屋に僕と同様に旅好きな先輩社員が遊びに来た。
    その人は一人旅と北海道をこよなく愛していた。
     
    そんな彼に、僕は部屋にある北海道の旅のアルバムを見せた。
    パラパラとページをめくっていたが、あるところで動きが止まった。
     
    「これ、俺じゃん!」
     
    えりも岬ユースで「失礼なこと」を言った奴が、実はその先輩だったのだ!
    4年後、こういう形で再会するとは思ってもみなかった。
    旅は一期一会であると同時に、くされ縁もあるのだと思った。
     
    この北海道の旅を通して、旅の素晴らしさ、楽しさを体感した20歳の僕。
    それから自転車での日本一周、バイクでのオーストラリア一周、日本一周につながるとは。
    人とはちょっと違った道を歩んでしまった。
    初めて見知らぬ土地を旅した19歳の夏には思いもしなかった。
    僕にとって旅の原点とも言うべき、平ユースホステルは今はもうない。
     
    PICT0006
     
     
     
    16 november

    日本列島を突っ走れ’97

    1997年8月4日(月)
     
    浜名湖を出発した僕は、国道1号線を西へ進んだ。
    歴史好きな僕にとって東海道は見どころ満載の道だ。
     
    途中、岡崎城に立ち寄ってみる。
    『ようこそ 家康公のふる里 岡崎へ』という看板にある通り、ここは徳川家康の故郷なのだ。
     
    小さいながらも風格のある天守閣。
    この天守閣から、若き日の家康は何を思って眺めたのだろうか。
     
    次に立ち寄った史跡は、桶狭間古戦場跡。
    ここは小さな碑が建つ公園となっていた。
     
    尾張名古屋。
     
    大都会を荷物満載の旅自転車が通り過ぎる。
    熱田神宮の脇を通り、名古屋の中心部へと向かう。
    片側4車線はある広い道路が通っていて、ここは実に走りやすかった。
     
    途中で見つけた銭湯で一汗流して、お目当ての名古屋城へ向かった。
    ところが、「観覧時間終了」の悲しい看板が…。
     
    さて、今日の寝床である。
    昼間に名古屋YHに電話をしてみたが、いっぱいで泊まれませんとのこと。
    仕方がないので、いつもの野宿を決めて名古屋市内に入ってみた。
     
    しかし、大都会なので野宿できそうな場所が、なかなか見つからない。
    ようやく見つけたのは庄内川の河川敷。
    ところが、そこには先客が…。
     
    橋の下にはホームレスのおじさんたちが住んでいるのだ。
    雨風を避けるには、橋の下が絶好の場所。
     
    一応、一声かけてみた。
     
    「すみません、ここで一泊しますよ」
     
    特に反応はなかった。
    少し離れた場所にテントを張る。
    コンビニ弁当を食べながら、地図を見て明日のルートを考える。
    朝からの疲れもあり、ぐっすりと寝てしまった。
     
     
     
    15 november

    日本列島を突っ走れ’97

    1997年8月2日(土)
     
    箱根の山中で迎えた朝は霧雨だった。
    昨夜は夜遅くまで走り屋がうるさかった。
     
    4時に目が覚め、草むらに張ったテントを撤収。
    どこまで登りが続くのだろうか…と思いきや、出発してまもなく箱根の最高地点へ。
    少し下ると芦ノ湖の町だった。
     
    とにかく濃霧のため景色は分からない。
    芦ノ湖から見る富士山を期待していたのだが…。
     
    箱根は登りも大変だったが、下りも大変だった。
    急勾配のため、スピードがつき過ぎる。
    ブレーキシューは磨り減って、タダでは下らせない箱根だった。
     
    山を下ると天気が回復し、三島、沼津…と快調に進んで行く。
    清水では有名な三保の松原へ足を延ばしてみた。
    羽衣の松という老木があり、僕の目には単なる松林に見えただけだった。
     
    国道150号線を経て静岡市へ。
    歴史の教科書にも載っていた登呂遺跡へ寄ってみることにした。
    遺跡内では竪穴式住居が復元されており、公園として整備されていた。
    沿道には土産物屋が立ち並び、ここも観光名所として賑わっていた。
     
    徳川家康が今川家の人質時代に石合戦の勝敗を当てたという安倍川。
    夏の日差しがキラキラと輝く川面を眺めながら、僕はペダルをこぎ続けた。
    この日は大井川の河原で野宿をすることにした。
     
    1997年8月3日(日)
     
    大井川を7時頃に出発。
    洗濯もしたいし、風呂にも入りたいし、今日はユースホステルに泊まろう。
    そう決めた僕は、地図を取り出して今日の目的地を浜名湖YHにした。
     
    東海道を西へ下る道。
    まさに歴史街道だ。
     
    小夜の中山、掛川、そして天竜川を越えて浜松市内へ。
    浜松はとても大きな街で、静岡県の西端に位置している。
     
    徳川家康の居城として有名な浜松城を訪れる。
    予想していたよりもこじんまりとした城だった。
    武田軍に包囲された時、家康はかがり火を焚き、城門を開きっぱなしにしていたという。
    何か策略でもあるのかも知れないと勘ぐった武田軍はそのまま退いたという。
    僕が家康の立場だったら、果たして機転の利いた作戦をとれただろうか。
     
    国道1号線を進み、日本3大砂丘の一つ、中田島砂丘へ。
    鳥取砂丘と比べると小規模ながらも、雰囲気は出ていた。
    海岸沿いの道を走ったのだが、向かい風が強くてイライラ感が募る。
     
    やがて浜名湖へ到着。
    今日の宿泊地であるYHはすぐ近くだ。
     
    浜名湖YHは鉄筋コンクリート造りの建物で、いかにも合宿所といった雰囲気だった。
    YHとしての規模は大きく、やはり団体客も泊まるのではないだろうか。
    ここで2人の旅人と一緒になった。
     
    Kさんは東京でパン屋さんに勤めていたが、退職し奈良県の実家まで自転車で旅をしている人だった。
    Nさんは夏の休暇を取って、電車で旅行をしている人だった。
    それぞれ、旅に出た状況やスタイルは異なるが、同宿できたことは何かの縁だろう。
     
    この夜はKさんが買ってきた浜名湖ビールという地ビールを飲みながら、
    旅談義に華が咲いたのだった。
     
     
    11 november

    日本列島を突っ走れ’97

    1997年の夏 ―アナタはどこで何をしていましたか?
     
                   ***
     
    1997年8月1日(金)晴れ
     
    ついに学生最後の夏になってしまった。
    自転車で長期の旅をすることも、恐らくこれで最後だろう。
    思い残すことなく、精一杯走りたいものだ。
     
    去年までは綿密に準備をしていたものだが、今回は特に何も準備することなく旅立った。
    行き先も「四国方面」と漠然としている。
    これは旅慣れたと言えるのだろうか?
     
    清々しさが残る早朝6時。
    ボクは高円寺のアパートから環七を経て、大森方面へペダルをこいでいる。
    交通量が多い幹線道路なので、車の流れに気を遣う。
     
    国道1号線を進み、多摩川を越えて神奈川県へ。
    川崎、横浜と順調に通過。
     
    天気は去年のように暑すぎず、東海道の松林の木陰では、爽やかな夏の風が心地よい。
    たぶん、今までで一番良い出発だろう。
     
    海だ!
     
    茅ヶ崎で海を見る。
    サーファーを見かけるたびに、湘南のイメージと夏の開放感が心躍らす。
    松林の向こうへ足を運び、砂浜で休憩をとった。
     
    あれが、サザンの歌に出てくる「エボシ岩」かな?
     
    平坦な海沿いの道を快調に進み、13時30分頃には小田原に到着。
    天下の名城・小田原城を巡ったあと、時計を見るとまだまだ時間があった。
     
    箱根を越えて、沼津あたりで野宿にしよう。
     
    このときは、その考えが甘いものだとは思いもしなかった。
     
    小田原から箱根路へペダルをこぎ出す。
    さすが天下の険だけあって、急勾配が続く。
    今まで越えた峠に中でも、屈指のきつさだ。
     
    北海道の知床峠を越えた時とは、単純に比較はできないが、箱根峠はペダルすらこげない。
    もう押して登るしかない。
     
    東京から出発して初日で、体ができていないせいもあるのだが、自転車を押して登った峠は箱根が始めてだった。
    疲れはピークに差し掛かっていた。
    山は濃霧に包まれ、辺りはすっかり暗くなってきた。
     
    時計の針は18時半を差している。
    今、峠のどれくらいまで登ってきたのだろう?
    深い霧に包まれて、先が見えない。
     
    腹は減っているけど山中で野宿することにした。
    あー、寒い。
    道の脇の藪の中にテントを張り、第一日目の夜を迎えた。
     
     
     
     
     
    23 juli

    どこまでも青い空⑫

    日本海に沈みゆく夕陽を見送った。
     
    夕食の後はいよいよ名物のミーティングだ。
     
    <一体どんなことが始まるのだろうか?>
     
    期待をしながら案内に従って大広間へ行くと、人が集まりつつあった。
    夏休みだけあって大勢の人たちで賑わっている。
    ざっと見ても50人位はいるだろうか。
     
    司会役のヘルパーさんが出てきて、いよいよミーティングの始まりだ。
    まずは壁にかけた礼文島の地図を使っての観光案内。
    見どころを面白おかしく紹介してくれる。
     
    「愛とロマンの8時間コース参加希望者はミーティング終了後に食堂に集まって下さい」
     
    <愛とロマンの8時間コース??>
     
    これは礼文島を北から南へ縦断するトレッキングコースのこと。
    高山植物を見ながらのトレッキングが楽しめるという。
    僕も参加してみよう。
     
    そして、第一部が終了し、いよいよ歌と踊りの第二部が始まった。
     
    ギターを抱えたヘルパーさんと、数人のヘルパーさんが皆の前に出てきた。
    壁にかけた巨大歌詞カードをめくりながら、恐らく桃岩荘YHに代々伝わるオリジナルソングを歌ってくれる。
     
    そして手拍子に加えて、歌詞カードを見ながら皆で歌うことになる。
    それはごく自然に誘導されるかのように。
     
    そんな時間が続いた後、ヘルパーたちの誘導により踊りが始まった。
    特に型などはなく、前で踊るヘルパーさんたちを見よう見まねで体を動かすのだ。
     
    ガッチャマンなどの歌に乗せてみんなで踊る…冷静に見たらおかしな光景だろう。
    しかし、ここは冷静になってはいけない。
    いや、当時20歳だった僕は楽しいと感じた。
    31歳の今、行ったとしたら…引いてしまうだろう。
     
    汗をかくほど踊り、ミーティングは終わった。
     
    <これが噂の桃岩荘YHか…>
     
    ミーティング終了後、翌日の「愛とロマンの8時間コース」の説明を受けるために食堂へ向かった。ざっとコース説明などがあり、グループ分けをすることになった。
     
    ヘルパーさんが登山経験者や年齢を考慮して、適当にリーダー格になる人を4人選んだ。残った人たちは、それぞれ好きな(?)リーダーの列に並んでグループ分けとすることになった。
     
    僕は一番近い列に適当に並んだ。
     
    これが運命の分かれ道になるとも知らずに…。
     
    つづく
     
     
     
     
    01 juli

    どこまでも青い空⑪

    日本最北の島、礼文島。
    本州では滅多に見ることが出来ない高山植物が見られる「花の島」でもある。
     
    フェリーで上陸した僕は、島の北側にある久種湖キャンプ場へ向かった。
    ここには大勢の旅人がテントを張っており、長期滞在者もいた。
     
    キャンプ場の入口には「バイト募集」などの張り紙がある。
    長期滞在者はそういったバイトで食いつなぎながらテント生活を続けているらしい。
    こんな張り紙を見るのはここが初めてのことだった。
     
    そんな礼文島には有名な場所がある。
    桃岩荘ユースホステル。
     
    唄あり、踊りありの名物ユースで、「三バカユース」の筆頭格として挙げられる伝説のユースである。いわゆる「昔のYH」ではどこに行っても、ミーティングと呼ばれる時間があった。
     
    そのミーティングでは何をするのかと言うと、簡単な自己紹介のあと、唄を唄ったり、ゲームをしたり、宿泊者同士の親睦を深める機会となっていた。そして、ミーティングへの参加は半ば強制的であった。そもそもユースホステルには、そういう交流を持つことによって、旅を楽しむというコンセプトがあったのだ。
     
    しかし、時代の流れには逆らえず、ミーティング自体を敬遠する若者が多くなり、YHの宿泊者も減少の一途をたどっている。もちろん、客足減少の理由はそれだけではないのだが、今の若者には肩を組んで歌を唄うミーティングは理解されないのだ。
     
    したがって、ミーティングを廃止するYHが多くなり、今では談話室で自由参加のティータイム形式になっている所が多い。それでも北海道には「昔ながらの」ミーティングをやっているYHが存在し、その中の一つが桃岩荘YHというわけだ。
     
    利尻島から実家に電話をかけたとき、桃岩荘YHに母も行ったことがあると言っていた。
     
    「昔のYHはどこでもやっていたわよ」
     
    約25年前に母も訪れたという桃岩荘YHに僕も行ってみたいと思った。
    そして、唄と踊りにまつわる「噂」をこの目で確かめたいと思うようになったのだ。
     
    翌日、YHに電話で予約を入れて夕方にフェリーターミナルに行ってみた。
    そこが集合場所だと言われたからだ。
     
    一台の小汚いワンボックスカーが停まっていた。
    車の側面に「桃岩荘ユース」と書いてあった。
    フェリーで到着したお客さんを送迎するための車だ。
     
    僕は自転車だったので、YHの場所を聞いて自走で行くことにした。
    きつい坂を乗り越えて、トンネルを越えた先に断崖が見える。
    その下に番屋が見える。それが桃岩荘YHだ。
     
    昔のニシン番屋を改造した建物で、思ったよりも広い建物だ。
    大広間には囲炉裏の間もあり、大勢のお客さんで賑わっていた。
     
    受付を済ませ、部屋ではなく通路に面したベッドを案内された。
    女性には部屋があるそうだが、男は通路に面したベッドなのだ。
     
    荷物を降ろしてほっと一息ついたところで、ヘルパーさんの声が響く。
     
    「これから夕陽の儀式を行います!!玄関までどうぞ~!」
     
    僕は一体何が始まるのだろうかと思いながら、「儀式」に出てみることにした。
     
    YHの目の前は日本海である。
    この日も前日に引き続き快晴であり、美しい夕陽が水平線上に沈んで行く。
     
    数人のヘルパーさんが「儀式」についての説明を始め、それからギターをかき鳴らし歌を唄い始めた。
     
    ♪しぼったばかりの 夕陽の赤が 水平線からもれている~
     
    吉田拓郎の『落陽』を合唱しながら、沈み行く夕陽をみんなで見送っていた。
    振り返ると、屋根に登ったヘルパーさんが大漁旗を振りかざしている。
     
    ♪戻る旅に 陽は沈んでゆく~
     
    いきなりのハイテンション。お祭り騒ぎである。
    これは桃岩荘YHのほんの序曲にすぎない。
     
    つづく
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    30 juni

    どこまでも青い空⑩

    果てしなく続く道。
    その道の先は見えない。
     
    これぞ北海道というイメージにぴったりの道。
    それがオロロンラインだ。
     
    左手には日本海。右手には緑の牧草地。
    こんな道を今まで走ったこともなければ、見たこともなかった。
     
    1時間経ってもさほど景色は変わらない。
    ふと、時間が止まってしまったのではないかと錯覚するほどだ。
     
    僕は今、夢大陸・北海道を走っているんだ!
     
    何故だか嬉しくなってしまい、道の真ん中に自転車を置いて、写真を撮ってみた。
    交通量もまばらだ。
    たまに旅バイクがすれ違い際にピースサインを送ってくれる。
     
    何もない大地だが、そこが不思議な魅力だった。
    走っていてとても楽しい。
    景色があまり変わらなくても、この大地を旅していること自体が嬉しかったのだ。
     
    やがて左手に円錐形の島影が見えてきた。
    それが利尻島。
     
    洋上アルプスの異名をとるほど美しい山影である。
    僕は日本最北の町・稚内に到着し、フェリーに乗って利尻島に渡ることにした。
     
    フェリーのデッキから体一杯に海風を受けて、利尻島がどんどん近づいてくる。
    僕はこれから何が待っているのかわくわくしながら胸を躍らせていた。
     
    島に上陸した初日はキャンプ場に入り、翌朝から島一周の自転車旅が始まった。
    ここにきて天気は雲一つない快晴だった。
     
    北の海の色は真っ青だ。
    道の脇にはところどころ錆付いたガードレールがあり、郷愁を誘っている。
    遠い地からやって来た僕を、カモメたちはじっと見ている。
     
    道端の公衆電話を見つけた僕は、久しぶりに東京の実家に電話をかけてみた。
     
    「あ、母さん?旅人だけど…。今、利尻島にいるんだ…」
     
    母の声を聞いて少し安心した。
    20歳になって大人になったつもりだったのだが、母の声を聞き懐かしさを感じた。
     
    母も学生時代にリュックを背負って友達と2人で北海道を旅したらしい。
    いわゆるヒッチハイカーだ。
    「ディスカバージャパン」というキャッチコピーが流れていた頃のお話。
     
    友達とヒッチハイクをしようとして止めた車が、たまたまヤクザの車だったらしい。
    しかし、そのヤクザはずいぶん親切に乗せてくれたようだ。
    女の子2人でそんな車に乗り込むのもどうかと思うが…。
     
    そんな母も利尻島に来たことがあると言っていた。
     
    島は一周が約100キロ。
    つまり、1日の行程だ。
     
    途中で見つけた見晴らしのいい高台へ登ってみる。
    どこまでも青い空。
     
    僕は空に向かって思いっきり背伸びをしてみた。
    こんなに青い空は久しぶりに見た気がする。
    雨に打たれっぱなしだった僕へのプレゼントだろうか?
     
    水平線上にもうひとつの島が見える。
    それが礼文島。
     
    僕は礼文島へ渡ってみたくなった。
    そして自転車は港へと向かって行った。
     
    つづく
     
     
     
     
     
     
     
    25 juni

    どこまでも青い空⑨

    富良野の近くに吹上温泉という人気の温泉がある。
    ドラマ『北の国から』に登場して以来、人気が出たらしい。
     
    僕は何も知らずやって来たわけだが、他の旅人たちはその温泉を知っていた。
     
    「後ろに乗っていくかい?」
     
    そう声を掛けてくれたのは、キャンプ場で一緒になったV-MAX乗りだった。
     
    「えっ?でも、ヘルメット持っていませんし…」
     
    「ちょっとそこまでだから大丈夫だよ」
     
    僕は恐る恐る後ろに乗ってみた。
    バイクの後ろに乗るのは初めてだった。
     
    振動と音。自転車とは異質の乗り物。
    なぜかワクワクする気持ちだ。
     
    V-MAX乗りのお兄ちゃんは元・教習所の指導員というだけあって安定した運転だった。温泉まで数百メートルなので、そんなにスピードは出していないのだが、自転車にはないパワーを感じた。
     
    <登り坂なのに風を切って進むなんて…すごい!>
     
    この時の感動が、その後僕をライダーにしたかどうかは分からない。
    しかし、このとき、確かにバイクの魅力を感じた。
     
    その後の僕の旅は登り坂の連続だった。
    十勝岳温泉に入ろうとして自転車で延々と登っていった。
    最後の方はこげなくて、押して登った。
     
    やっと着いたと思えば、温泉は工事のため休館…。
     
    仕方がないので、十勝岳から下りの白樺並木を通って、旭川方面へ進んだ。
    途中では三浦綾子の小説『塩狩峠』の舞台となった塩狩峠を越えた。
    この時も、『塩狩峠』を読まずに旅に出ていた。
    後から思うと、読んでから行っていたらまた別の感動があったのだろう。
     
    8月15日。終戦から50年目の昼。僕は名寄付近のコンビニで休憩をしていた。
    ようやく青空に出会えた、暑い日だった。
     
    <こうやって自由に旅ができるのも平和な世の中のおかげだ>
     
    今の世の中が本当に平和かどうかは分からない。
    僕の知らないところで、平和ではない世界や人たちがいるわけだから。
     
    音威子府。これを読める人は地元の人か、北海道通の人だろう。
    「おといねっぷ」と読むのだが、初めて訪れたときは僕も読めなかった。
     
    北海道にはアイヌ語に由来する地名が多い。
    「~ベツ」とか「~ナイ」という語はよく目にする。
    「オトイネップ」もアイヌ語に由来する意味があるはずだ。
     
    この辺りは山間部で、夏だと言うのに朝晩は寒い。
    お盆を過ぎたら秋、というのが北海道では常識らしい。
    東京では9月いっぱいは暑い日が続くのに…。
     
    天塩川に沿って、山間部から日本海側へ。
    久しぶりに見る海。
    のどかな漁村風景が続いていく。
     
    夕暮れ時には日本海に沈みゆく夕陽が美しい。
    海岸に程近いキャンプ場で、近くの商店で買った肉を焼いて夕食にした。
    そして、徐々に日が暮れていき、薄紫色の雲が遠く海へと広がっている。
     
    <こんなに美しい夕暮れ時を迎えたのは久しぶりだ>
     
    ふと、タバコを買ってみた。
     
    煙が風に揺れて、一番星の輝く空へと昇ってゆく。
     
    実はタバコを買ったのはこれが初めてだった。 
    こんな風景の中ならタバコも絵になるかなと思って。
     
    しかし、大したことはなかった。
    美味くもなければ、思っていたほどカッコイイものではなかった。
     
    一箱も吸えるわけはなく、結局1本だけで終わった。
    それは後日、たまたま旅で知り合った人にあげてしまった。
     
    これが20歳になった僕の「タバコ初めて物語」だった。
     
     
    つづく
     
     
     
     
     
    18 juni

    どこまでも青い空⑧

    苫小牧までは海沿いの道を走ってきたが、ここから内陸部への道を進んでいく。
    メロンで有名な夕張へ。かつて炭鉱の町として栄えたらしいが、今ではすっかり小さな町になっている。
     
    しかし、この町は高倉健主演の『幸福の黄色いハンカチ』のロケ地としても有名なのである。僕はその映画を観ていなかったが(旅を終えてから観た)、名前だけは聞いたことがあったので行ってみた。
     
    集合住宅のセットが残っており、物干し場には黄色いハンカチが風にたなびいている。建物の中は映画で使われた資料が展示してあり、映画に出てきたマツダ・ファミリアも展示されていた。
     
    ロケ地を後にした僕はヤマト運輸の営業所へ向かった。なぜか?それは荷物を東京へ送り返すためである。初めての旅だったので、今思うと不要なものを大量に積んで走っていたのだ。
     
    例えば、洗面器。「顔を洗ったり、洗濯をしたり、野宿で川の水を浴びる時に使うかな?」と思って持ってきていた。今なら笑ってしまうが、出発前の僕は大真面目に考えていた。結局、川の水を浴びながら野宿を続けるような「荒業」はしなかったわけだが。
     
    旅に慣れてくるに従って、必要なものと不要なものが分かるようになってくる。旅の達人たちは思いのほか荷物が少ないのだ。これは旅をする人なら誰もが経験することだろう。
     
    夕張から峠道を登って富良野へ抜ける。この辺りは山間部なので峠越えも厳しい。そんな道をひたすらペダルをこいでいると、対向のライダーがすれ違い際に合図を出してくれる。
     
    当初、僕は一体何を意味するのか分からなかった。それをピースサインと言い、ライダー同士の挨拶の意味だと後に知った。僕もすれ違い際に手を振ったりしたが、登り坂ではさすがに手が離せない。せいぜいお辞儀をするのが精一杯だ。しかし、そんな旅をする者同士の心のふれあいが連帯感を強めていった。
     
    <よし!がんばるぞ!>
     
    汗だくになりながら、僕はペダルをこぎ続けるのだった。
     
    富良野はTVドラマ『北の国から』の舞台として有名だ。ところが、残念な事にこのドラマを知らずに僕は旅をしていたのだ。だから富良野は普通に通り過ぎてしまった。旅を終えてからビデオを借りて観たが、感動した。やはり観てから行った方が良かったと思う。旅には先入観を持ちすぎない程度に下調べは必要だ。
     
    この日は日の出公園キャンプ場にテントを張り、スーパーで買ってきた肉を焼いて夕食にした。ラジオをつけると中島みゆきの『まつりばやし』が流れてきた。なぜかこの曲が耳に残った。今でもこの曲を聞くと、当時のことを思い出す。
     
    つづく
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    17 juni

    どこまでも青い空⑦

    函館からカニで有名な長万部(おしゃまんべ)を通り、登別、室蘭と進んでいた。
    海沿いの道を進みながら、北海道の風景を楽しんでいるが、僕のイメージに合う風景はもう少し後に登場することになる。
     
    ところで、苫小牧の近くに白老という町がある。
    ちょうどこの町に着く頃、夕方を迎えた。
    僕はあるキャンプ場を見つけて、そこに泊まることにした。
     
    広く開けたテントサイトは緑の芝生が美しい。
    夕方だけあって、すでに多くの人たちがテントを張っていた。
    お盆前の休日ということもあって、地元の家族連れや仲間同士でキャンプに来ているのだろう。あちこちから炭火のいい香りが漂ってくる。
     
    僕は適当に空いている場所を見つけて、テントを張った。
    そして、買って間もないコールマンのガソリンストーブに火をつけて米を炊くことにした。
    今日の晩飯は米を炊いて、レトルトカレーをぶっかけて、と思っていた。
     
    「よかったら、一緒に食べませんか?」
     
    そう声を掛けてきたのは、たまたま隣りにテントを張っていたファミリーキャンパーのお父さんだった。そんな風に声をかけられたことがなかったので、少々戸惑いながらも、
     
    「ええ。お願いします」
     
    僕は炊いた米や缶詰を持って、隣りへ移動した。
     
    「お肉もありますから、いっぱい食べて下さいね」
     
    「ありがとうございます。それじゃ、この缶詰も食べましょう」
     
    「いいから、いいから。なんも遠慮しないで。さあ、どうぞ」
     
    僕は冷えた缶ビールを手渡され、乾杯した。
    簡単な自己紹介と、ここまでの旅のことを話すとお父さんもお母さんも熱心に聞いてくれた。また、小学2年生の息子さんも「お兄ちゃん」となついてくれた。
     
    <まるで自分の家族のようだ>
     
    東京を出て以来、家族とのふれあいは皆無だった。
    それだけにここでのふれあいは貴重であり、多少のホームシックを感じた。
     
    話しを聞いてみると、お父さんも学生時代に自転車で旅をしていたそうだ。
    しかも日本一周!お母さんも鉄道などを使って北海道のあちこちを旅したとのこと。
    つまり二人とも旅のベテランであり、先輩なのだ。
     
    「昔はあちこちでいろんな人たちにお世話になったよ。だから、たまたま隣りにテントを張った自転車野郎の旅人さんに声を掛けてみたんです」
     
    お父さんは昔の自分の姿を、今の僕に重ねて見ているのだろうか。
     
    楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
    自転車旅で疲れている僕のことを気遣ってくれる気持ちが嬉しい。
    僕はお礼を言って、自分のテントに戻って深い眠りについた。
     
    翌朝、起きてみるとお父さんもお母さんは朝食の準備をしていた。
     
    「おはようございます。昨日はごちそうになりました」
     
    「おはよう。朝食も食べて下さいね」
     
    「いや、それは…」
     
    「遠慮しないで」
     
    結局、朝食までごちそうになってしまった。
    そして、朝の涼しい空気を体いっぱいに浴びながらキャンプ場の周りのサイクリングコースをお父さん、息子さんと3人で走ってみた。
     
    森の空気がうまい。
    そして、小さな自転車をこぐ息子さんがかわいらしかった。
     
    <この子も将来、自転車野郎になるのかな?>
     
    旅は一期一会と言う。
    出会いがあれば、別れもある。
     
    「本当にありがとうございました。いい思い出ができました」
     
    「体に気をつけて、いい旅を続けて下さいね」
     
    お互いの住所交換をしたあと、僕は自転車のペダルをゆっくりと踏み込んだ。
    別れは名残惜しいが、先に進まなくてはいけない。
    僕は大きく手を振って、キャンプ場を後にした。
     
    <次はどんな人たちに出会えるのだろう?>
     
    北海道の旅はまだ始まったばかりなのだ。
     
    つづく
     
     
     
    後日談になりますが、この家族、Kさん一家とは今でも親交があります。
    そして、僕がオーストラリアから帰国したあとにバイク日本一周の旅に出たとき、Kさん宅を訪ねました。そのことは、過去のブログ記事カテゴリー「日本列島縦断」に書いてあります。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    11 juni

    どこまでも青い空⑥

    鉛色の海を眺めながら、僕は青函フェリーのデッキで缶コーヒーを飲んでいる。
    8月だと言うのに天気が悪いせいで風が冷たい。
    それとも北へ向かっているからだろうか。
     
    約4時間の船旅を終えて僕は初めて北海道に上陸した。
    市内を走る車のナンバープレートは「函館」だ。
    東京から出発して一体いくつのナンバープレートを目にしてきたのだろう?
    それだけでも遠くへやって来た実感が湧くものだ。
     
    出発前はどこまで行けるのか分からず不安だった。
    とにかく北へ。
    それだけを思い続けて、今僕は北海道に立っているとは夢のようだ。
     
    僕は国道5号線を大沼方面に向かってペダルをこぎだした。
    広くて平坦な道。実に走りやすい。
     
    ところが、空は今にも雨が降り出しそうな黒い雲が覆っている。
    やがてポツリポツリと雨が降り始め、やがて本格的に降り出してきた。
    北海道上陸の日から雨に打たれるとは。
     
    ちょうど夕食時だったので国道沿いのラーメン店に入った。
    一応、函館で食べるから名物・函館ラーメンと言ってもいいだろう。
     
    何の変哲も無い普通のラーメン店だったが、冷たい雨に打たれた後に食べる温かいラーメンは最高に美味かった。自転車は体力勝負であり、食事はいわばガソリンのようなものだ。だから、かなりの量を食べる。そして、運動した後に食べる物はとても美味しく感じる。
     
    すっかり日が暮れて、僕は大沼公園のキャンプ場にたどり着いた。
    キャンプ場にはバイク旅の人や自転車旅の人など本州では見かけることがなかった旅人がたくさんいた。これは心強く、そして嬉しく感じた。
     
    キャンプ場の近くにある国民宿舎で外来入浴を済ませ、身も心もさっぱりした。
    そして小止みになった雨の中、テントの中で僕は北海道の第一夜を迎えた。
     
    <明日はどっちへ行こうか?>
     
    と考えながら、僕はいつの間にか深い眠りについていた。
     
    つづく
     
     
     
    09 juni

    どこまでも青い空⑤

    自転車で一日に進める距離はせいぜい100キロ。
    東京から青森まで約700キロの行程なので単純計算で1週間はかかることになる。
     
    今回の旅は最短距離と言うわけでもなく、雨に降られたりもしたので時間がかかっている。僕は東京を出発してから10日目で青森まで来ることができた。
     
    国道4号線をゆっくりと進み、ホタテで有名な野辺地へ。
    久しぶりに見る海は陸奥湾だ。
    馬門(まかど)温泉で汗を流した後、いつものように野宿をするところを探した。
     
    しかし、なかなかいい場所が見つからない。
    いや、今の僕ならすぐに見つけられるのだが、当時のひよこ旅人にとっては野宿地一つ決めるのも大仕事だ。
     
    とうとう見つからないまま日が暮れようとしている。
    僕は国道沿いの鄙びたドライブインの食堂で晩ご飯を食べることにした。
    「ホタテ」の幟についつい引き込まれたというのが正解かも知れない。
     
    「ホタテ刺身定食、お願いします」
     
    出てきたホタテの刺身は、きちんと貝殻に載せてあり身も引き締まっている。
    口に入れると甘みが広がり、東京で食べていたホタテが別物のように感じられた。
    これが本当のホタテなのだ。
     
    これがこの旅で初めて味わう名物料理になった。
    そして、東京から青森まで無事にたどり着いた自分へのささやかなお祝いだ。
     
    食べ終わったあと、お店の人にキャンプ場について尋ねてみた。
    するとお店の人同士で話し始めた。
     
    「○△*%&#…」
     
    僕に対して話しをしてくれるときは標準語で話してくれるので、内容が分かる。
    ところが、地元の人同士、特に年配者同士となると何を言っているのかさっぱり分からない。こんなことでも遠くへ来たことを感じさせてくれる。
     
    「もう暗いから店の前でテントを張っていいよ」
     
    そんな地元の人の好意に甘えて、店の駐車場の片隅にテントを張らせてもらうことにした。海沿いのドライブイン脇で一夜を明かした。そして、翌日は青森市へ。
     
    青森港から北海道・函館港行きのフェリーが出ている。
    フェリーターミナルには数多くのライダーがテントを張っていた。
    ねぷた祭りが終わって、北海道行きのフェリーに乗る人たちのようだ。
    ただし、キャンセル待ち状態となるほどの混みようだった。
     
    僕は切符売り場へと向かった。
     
    <本当に北海道へ行くのか?>
     
    そんなことを考える間もなく、僕はごく自然に函館行きの切符を手にしていた。
    キャンセル待ちの車やバイクを横目に、自転車の僕はすぐに乗船できた。
     
    目の前にはねずみ色をした海が横たわっている。
    空は今にも雨が降り出しそうな雲行きだ。
     
    <この海の向こうに北海道が僕を待っているんだ>
     
    僕と僕の夢を乗せたフェリーは汽笛とともに、ゆっくりと動き出した。
    夢大陸・北海道まであと少しだ。
     
    つづく
     
     
     
     
    08 juni

    どこまでも青い空④

    ボツボツボツ…テントに落ちる雨音が朝から響いている。
    そっとテントのチャックを開けて外の様子を伺う。
     
    <やっぱりひどい雨だ…>
     
    昨夜、温泉センターの休憩室で天気予報を見た。
    すると、東北地方は一日中雨とのことだった。
     
    「あのう、すみません。もう一日だけお世話になれないでしょうか…」
     
    僕は開館時間とともに温泉センターのフロントにいた。
    係の人は事情を察してくれたので快く僕の申し出を受けてくれた。
     
    入館料を払って、温泉へ。
    館内には食堂や休憩室もあるので大いに助かった。
     
    TVでは夏の高校野球が放送されていた。
     
    <甲子園は真夏の天気なのになぁ…>
     
    この年の東北地方は8月になっても長雨が続き、梅雨明けは疑問だった。
    関東地方より西の地域は夏空に恵まれているというのに。
    これでは、まるで僕が雨男のようだ。
     
    一日中、館内で過ごした後、僕は駐車場に張りっぱなしのテントへ戻っていった。
    何もしない一日が長旅の疲れを癒す休養になってくれた。
     
    翌朝、テントの外に出ると幸いにも雨は降っていなかった。
    曇り空…でも、これ以上お世話になるわけにはいかず、出発の荷造りをした。
     
    「どうも、お世話になりました!」
     
    僕はこうして奥中山高原温泉をあとにした。
    もし再び東北地方を旅することがあったら是非訪れてみたい場所だ。
     
    道はやがて青森県へ。
     
    つづく
     
    06 juni

    どこまでも青い空③

    花巻から北へ進むと、岩手県の県都・盛岡市に到達する。
    この街は、自然と調和のとれた美しい街。
    そして、わんこそばや冷麺などの名物料理も多々ある。
    残念ながら質素な自転車野郎には名物料理を味わう余裕はなかった。
     
    今宵の野宿地を探しながら国道4号線を北へと進む。
    とあるコンビニの店員さんにキャンプ場の有無を尋ねてみることにした。
     
    「この先に確かあったような…」
     
    その曖昧な言葉を信じて、僕はペダルを力いっぱいこいでいた。
    国道4号線は東北地方の中央部分を南北に貫く道で、周りは山である。
    ところが、意外と高低差はないのだ。
     
    国道4号線の最高点は十三本木峠(459m)なのだ。
    なだらかに上がっていくので、それほどきつくはなかった。
    逆に海沿いの道は三陸リアス式海岸なので、そちらの方がきつかったかも知れない。
     
    その十三本木峠の近くに、奥中山高原がある。
    先ほどのコンビニ店員の話によると、この高原のどこかにキャンプ場があるらしい。
     
    ちょうど高原の案内看板が立っていた。
    しかし、日はすっかり暮れておりよく見えない。
    この辺りは街灯もなく、民家もない。あるのは牧場の闇の空間だけだった。
     
    <まずいなぁ…どこにキャンプ場があるんだろう…>
     
    牧場へと続く暗い道を僕は進み続けた。
    そして、高台に施設と思しき灯りが見えた。
     
    <きっとあれに違いない!>
     
    僕には遠くに見える灯りが希望に思われた。
    そしてたどり着くと、それはホテルであった。
     
    「奥中山高原温泉」
     
    そう書いてある。とにかく、僕はフロントに行ってみた。
     
    「すみません。キャンプ場を利用したいのですが」
     
    「キャンプ場はこの山を越えた向こうにあるんですよ」
     
    さすがにこの時間から一山越えるのは大変だった。
    しかも辺りは漆黒の闇に包まれており、方角すら判断できない。
     
    「すみません。一晩だけ駐車場にテントを張らせてもらってもいいですか?」
     
    僕は学生証を見せて、怪しい者ではないことを伝えた。
    今になって思えば、自転車で東京から旅をしてくる時点で怪しさ満点なのだが…。
     
    支配人は快く許可をしてくれた。
    僕は支配人の薦めに従って、入館料500円を払い、閉館時間まで館内にいることにした。ここは日帰り温泉施設でもあり、温泉はもちろん休憩室なども自由に使えるのだ。
     
    温泉につかりながら今日一日のことを振り返ってみた。
     
    朝に出発するときは、まさか暗い山道を心細い思いをして進むとは思いもしなかった。
    そして、奥中山高原温泉につかっているとは…。
     
    たった一日のことでも予想がつかない。
    苦しいことも、つらいこともあるだろう。
    しかし、思いがけない幸運に出会うこともあるだろう。
     
    今宵のこの湯。まさに思いがけない幸運だ。
    これから先、どんな「思いがけない幸運」が待っているのだろう。
     
    つづく
     
     
     
     
     
     
    04 juni

    どこまでも青い空

    激しい雨に打たれながら僕は自転車をこいでいる。
    僕のすぐ横をダンプやトラックが駆け抜けて行き、その度にしぶきが降り注ぐ。
     
    茨城県の涸沼川で初野宿を経験したあと、僕は国道6号線で福島県いわき市、相馬市を通って宮城県仙台市まで到達していた。福島県の標識を見たとき、初めて遠くまで来たという実感が湧いてきた。
     
    仙台からは国道4号線で北上を続けた。
    ところが、8月だと言うのに東北地方は長雨が続き、僕は毎日のように雨に濡れていた。
     
    <今日は野宿は無理そうだな…>
     
    普段は河川敷で野宿をするものだが、川の水は増水しておりとても野宿はできない。
    僕はユースホステル(YH)のハンドブックを開き、一番近いYHを探す。
     
    <花巻ならの里YH…よし、電話をしてみよう>
     
    電話をかけると、食事は無理だが素泊まりならOKという返事だった。
    僕がYHに到着したときはすっかり日が暮れた頃だった。
     
    全身ずぶ濡れの僕は、まずお風呂に入れさせてもらった。
    そして上がるとペアレントさん(YHの経営者のこと)が夕食を出してくれた。
     
    「あれ?僕は夕食を頼んでいませんけど…」
     
    「いいのよ。一人分くらい何とかなったから」
     
    温かい食事は元気が出る。
    そして、ホステラー(宿泊客のこと)たちとの会話を楽しみながら食事をした。
     
    「じゃ、温泉に行こうか」
     
    そうアイディアを出したのは車で来ていたホステラーだった。
    花巻の郊外に、鉛温泉という温泉郷がある。
    そこまでみんなで行こうという、即席温泉ツアーが持ち上がったのだ。
     
    数名のホステラーと、その人の車に乗り込んで温泉へと向かった。
    鉛温泉は情緒ある温泉で、僕はすっかりいい気分になっていた。
    そして、旅の疲れを癒すには最適であった。
     
    人とのふれあい。これが旅の醍醐味の一つなのだ。
    それは一期一会のふれあいかも知れない。
     
    利害関係の存在しない、短い間のふれあい。
    旅を純粋な気持ちで受け入れられるひとときは貴重なものだ。
    そんな思いは10年以上経った今でも何故か鮮やかによみがえる。
     
    翌朝、どんよりと曇った空を眺めながら、僕は次の町へと向かっていく。
    僕の旅はまだまだ先が長いのだ。
    これからどんな人たちに出会うのだろう。
    そして、どんな思い出を作るのだろう。
     
    つづく
     
     
     
     
    03 juni

    どこまでも青い空

    グォー、グォー、とウシガエルの鳴き声が耳について眠れない。
    時折、チャポンと水音も聞こえる。どうやら川面に魚が跳ねる音のようだ。
    さらには、遠くで犬が吼える音も聞こえてくる。
     
    それらの音が気になって眠ることができない。
    いや、眠れない理由はそれだけではなさそうだ。
    それは人生で初めての野宿だからだろう。
     
     
    1995年8月1日のことを僕は忘れることができない。
     
    この日、東京から自転車に乗って茨城県の大洗付近までたどり着いた。
    西新宿の下宿を出発したのは、まだ都心も静けさが残る早朝だった。
    交通量の少ない時間帯に都心部を抜けて、僕は国道6号線を走っていた。
     
    川を越えるたびに東京から遠ざかる。
    江戸川を越えて千葉県へ。利根川を越えて茨城県へ。
    ひょっとしたら古人も同じように川を越えるたびに旅情を感じたのだろうか。
     
    茨城県の大洗は東京から約100キロの距離にある。
    夕方に大洗にたどり着いた僕はさっそく泊まるところを探した。
    宿の予約などはない。つまり、旅の初日から野宿なのだ。
     
    テントや寝袋などは自転車に積んでいたので、<何とかなるわい>と思っていた。
    ところが、どこでテントを張ったらいいものか皆目見当がつかない。
     
    そこで大洗海岸へと向かった。
    ところが、人がたくさんおり、とてもじゃないがテントは張れそうもない。
     
    続いて大洗フェリーターミナルへ向かった。
    ここなら何とかなるかと思いきや、係員から注意をされた。
     
    <困ったなぁ。どうしよう…>
     
    夏の陽は長いとは言っても、すでに自転車をこぐ僕の影は長く伸びていた。
    そうして辺りを周っていると、小さな川があった。
     
    涸沼(ひぬま)川。
     
    土手の部分にテントが張れそうな気がした。
    すっかり日は暮れて、あたりはすでに薄暗くなっていた。
     
    <ここしかない!>
     
    僕はテントを張り、一晩の宿を決めたのだ。
    初野宿地は涸沼川の土手だった。
     
     
    そんな今日一日のことを思い返しながら、僕はぼんやりしていた。
     
    <明日はどこまで行けるのかなぁ…>
     
    やがて心地よい疲労感からか、ウシガエルの声をBGMに眠りついた。
    僕の旅はまだ始まったばかりなのだ。
     
    つづく
     
     
     
     
     
     
    *