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『旅日記』~バイク一人旅~日本とオーストラリアを旅した温泉好きライダーのページ |
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June 14 鎌倉あじさい紀行雨の季節に似合うもの―それは、あじさいの花だと思う。
どんよりとした厚い雲に覆われ、しとしと降る梅雨時、人々の目を引く季節の花だと思う。
あじさいの名所と言えば、関東地方では「あじさい寺」の異名のある鎌倉・明月院だろう。
境内の参道沿いにあじさいの株が植わっていて、美しい花が見る人の気持ちに感動を呼び起こす。
近所の生垣に植わっているあじさいもいいが、これだけの数がまとまって植わっていると趣が変わってくる。
薄い青色、深い紫色、白いもの・・・花の大きさも、手のひらほどのものから子供の顔くらいありそうなものまで。
雨の石畳。古いお堂が一つ。水溜りに映える一輪のあじさい。
そんな趣を期待して鎌倉を訪ねたのだが、実際は観光客で混み合っていた。
やはり、一番の見頃を迎えた名所に人が来ないわけはない。
北鎌倉駅では電車が到着するたびに大勢の人が降りるので、改札で行列ができる。
明月院に向かう道ですでに長い行列ができている。
もちろん、境内も混雑しているが、予想していたよりは花を楽しむことができた。
明月院の後、江ノ電に乗って長谷寺へ。
ここもあじさいの名所として知られている。
ところが、午後ということもあり長蛇の列ができていた。
急遽、予定を変更し、近くにある光則寺へ。
ここも花の寺として有名だが、長谷寺ほど混み合うこともなく、のんびりできる。
境内にはあじさいだけではなく、いろいろな花が植えられている。
そして、なぜか孔雀も飼われていた・・・。
雪のように白い花に心洗われる思いがした。
May 06 鶏冠山青梅街道を奥多摩から大菩薩方面へ抜けると、柳沢峠がある。
この時期は新緑が鮮やかで、バイクで走っていても気持ちがいい。
峠の茶屋にはライダーたちが一息入れていた。
僕は柳沢峠の駐車場にバイクを停め、ザックを背負い、山へと入っていく。
他のライダーたちから見ると僕は風変わりなライダーだろう。
今回目指す山は、鶏冠山(1,710m)という山で、山梨百名山にも選ばれている山である。
柳沢峠の標高が1,470mなので、標高差は240m。
今シーズン初の山行としては、ほどよいトレーニングになるだろう。
それともう一つ、今回は新しい登山靴のデビュー戦であった。
昨年に購入した登山靴だったが、なかなか山自体に出かける機会がなく、今回に至ってしまったわけだ。
足慣らしも兼ねての山行がスタートした。
登山道はきちんと整備されており、道幅もあって非常に歩きやすい。
林道歩きのような感覚で、平坦な道が続く。
ハイキングコースにもなっていて、初級者でも無理なく山歩きを楽しめるコースだ。
あまりにも平坦な、整備された道が続き、物足りなさを感じ始めたころ、横手峠を越えた辺りから山道らしくなってくる。
一歩ずつ、ゆっくりと歩いて行く。
時おり、木々の間から覗く青空を見上げてみたり、道端の植物を見たり、歩き急がないことを心がけた。
なぜなら、腰痛・膝痛予防のために。
以前はスタスタと登っていたが、今回は腰痛対策としての山行でもあるので、無理をせずに登ることにした。
そして、展望のよい場所に着いた。
この風景を眺めながら、軽食を摂る。
カレーパンが最高に美味い。
鶏冠山神社と書かれた標識に従って歩くと、鶏冠山の山頂だ。
絶壁の岩場に小さな祠が祀ってある。
山頂は狭いので、2~3人でいっぱいになってしまうほど。
しかし、僕が着いたときは僕だけしかいなかった。
今回はコース自体が歩きやすかったのだが、それにしても登山靴の効果はあった。
まず、足が疲れにくい。
平地を歩くときは、登山靴では重いのだが、山道に入るとその効果が発揮される。
岩や木の根につま先をぶつけても、足にダメージはなかった。
以前の靴(運動靴)では、爪が割れたり、内出血をしたものだった。
やはり登山をする上で、登山靴はケチってはいけないと実感できた。
腰も膝も痛くなかったので、今回の山行は成功だ。
次はどんな山の景色が楽しめるだろう。
March 29 夜桜見物February 21 春はそこまで・・・古来、「花」と言えば「梅の花」を指していた。
2月は梅の花が咲く時期である。
吐く息が白い通勤の朝。
近所の家の庭先に美しい「花」が季節の移り変わりを感じさせてくれる。
今日は新宿御苑を散策し、可憐な白梅、目に鮮やかな紅梅を楽しむことができた。
2月とは言うものの、好天に恵まれた新宿御苑は、降り注ぐ日差しが暖かかった。
苑内を歩くと、一本の木に人々が注目していた。
何だろう?そう思って、近づくと、それは桜であった。
早咲きの桜として知られる「河津桜」だ。
あと一月もすればソメイヨシノが咲く頃だろう。
春が待ち遠しいのは、寒い冬があるからこそ。
冬には冬の楽しみもあり、楽しみをいかに見出すか。
日々の生活、大げさに言えば、人生も同じかも知れない。
春はそこまで・・・。
February 07 ニッポン島紀行~硫黄島編②港に船が着くと、おおげさな言い方かも知れないが、島民総出で船を迎える。
「どんな人が島に入ってきたか」
島の人たちにとってみれば、新顔を確認することも治安上大切なことだと聞いた。
食料品等の貨物が次々とクレーンで下ろされる。
僕の自転車も、和田君の原付もクレーンに吊るされていた。
「さて、和田君。どこへ行こうか?」
「まずはキャンプ場へ行きましょう」
僕たちは島の管理事務所で手続きを終えて、港からほど近いキャンプ場にテントを張った。
わずか2張りのテントのみ。
キャンプ道具持参でやって来る旅人は少ないのだろうか。
キャンプ場には銅像が建っていた。
絶海の果てに届かぬ手を伸ばし、悲壮感漂う俊寛の像。
俊寛とは平安時代末期の僧で、平家打倒の陰謀を企てたとして(鹿ヶ谷事件 1177年)
鬼界島に流された人物である。やがて、罪許されて京に戻れることになると思いきや、
俊寛だけは許されず、「私も乗せておくれ」と涙ながらに沖へ去ってゆく船を見送ったという。
その鬼界島が、現在の硫黄島であると言われている。
昔日の歴史物語に思いを馳せながら、僕たちは島内を巡ることにした。
島には信号機はない。簡易舗装の細い道が続いている。
道は思いのほか急峻である。
ふと、道の先に何かが動いた。
「和田君、あれは何かな」
「キジじゃないか」
キジにしては大きすぎると思った。
よく見ると、それは孔雀だった。
道の先には数羽の孔雀が群れていた。
「孔雀もウジャウジャいると気味が悪いな・・・」
かつて、リゾート開発のために連れて来られた孔雀が、野生化したものだという。
島の人に聞いたところ、孔雀の肉は不味いらしい。
リゾート開発には失敗したが、今では孔雀の島となっていた。
白い孔雀を見ると幸せが訪れるという。
僕たちは島滞在中に何度も目にしたのだが・・・。
静かな森の中に、小さく佇む墓標。
それは平家滅亡時、壇ノ浦(山口県)で海へ身を投げた安徳天皇の墓であった。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。・・・」
の冒頭で有名な平家物語の時代。源平最後の決戦となった、壇ノ浦の戦い(1185年)でわずか
7歳の幼帝・安徳天皇は、「波の下にも都はございます・・・」と家臣たちとともに入水し、平家は滅亡した。
ところが、伝説によると、密かに壇ノ浦を落ち延びた安徳天皇主従はこの島にたどり着き、
ひっそりと余生を送ったという。
平家落人伝説の一つである。
日本全国に平家落人の里が存在する。
例えば、栃木県の湯西川や徳島県の祖谷が有名である。
真偽のほどは確かでないにしても、俊寛に安徳天皇といった歴史ロマンが残る島なのだ。
つづく
February 01 ニッポン島紀行~硫黄島編①島にはそれぞれ独自の雰囲気がある。
隣りの島に行くと、まるで別の国に来たかのような印象を持つこともある。
大げさな言い方かも知れないが、島はそれぞれが「独立国」なのだ。
僕が硫黄島を訪れたのは1997年の夏のことだった。
まず、硫黄島について簡単に説明しておこう。
僕が訪れた硫黄島(鹿児島県)は、太平洋戦争の激戦地となった硫黄島(東京都)ではない。
鹿児島市から南に行くこと約100キロの東シナ海上に浮かぶ人口100名程度の火山島である。
位置はちょうど九州本土と屋久島との間にあると思ってもらえばいいだろう。
硫黄島・竹島・黒島の3島がひとつの行政単位として三島村を構成している。
ただし、村役場は島内にはなく、鹿児島市内にあるという一風変わった村である。
僕が硫黄島を知ったのは、その当時、自転車で屋久島を旅していたときのことだった。
硫黄島には絶景の露天風呂があるらしいという噂を、屋久島で出会った旅人たちから聞いた。
温泉好きな僕としては、絶景の露天風呂があると聞いて、行かないわけにはいかないだろう。
僕は屋久島で知り合った「和田くん」と一緒に硫黄島へ渡ってみることにしたのだ。
鹿児島港から村営船・みしまに乗船する。
この船は週に2~3便しかないので、出航日を事前に確認しておく必要がある。
さらに、天候によっては何日も欠航になる可能性もあるので、天気も要チェックである。
無事に出航した村営船みしまは真っ青な東シナ海を進み行き、やがて海の向こうに白い噴煙をあげる陸地が見えてきた。
硫黄岳。海抜ゼロからそびえ立つ標高703mの山容は荒々しい山肌と、険しく切り立った崖が余人を寄せ付けないような
一種の威圧感がある。
他方、海には火山の硫黄成分が流れ出たせいだろうか、エメラルドグリーンの絵の具を溶かしたかのように
海を彩っている。厳しい表情を見せる陸と、美しく彩られた海。この島は果たして僕たち旅人を歓迎しているのだろうか、
それとも・・・これから始まる島の旅に胸を躍らせていた。
つづく
January 04 横浜にて新年あけましておめでとうございます。
今年最初のお出かけは、おしゃれな街、横浜。
お昼を食べに中華街へ。
本場の麻婆豆腐が有名な店へ。
色が黒々としており、普通の麻婆豆腐とは違っている。
食べてみると、山椒が利いていて辛い。
でも、激辛というわけでもなくちゃんと食べられた。
食後は港の見える丘公園へ。
白い船が真っ青な海を進む。
その向こうには横浜ベイブリッジが白く輝いていた。
それから中華街に戻って、フカヒレまんを買って食べ歩き。
申し訳程度にフカヒレらしきものが入っていたけど、本当にフカヒレなんだろうか??
中華街にはいろんな店があって、ブラブラ歩くだけで中国旅行気分が味わえる。
雑貨屋とか食料品店を覗いて回るのも楽しい。
乾燥タツノオトシゴとか売っていたけど、一体誰が買うんだろう?
それから、寒い風にあおられながら、みなとみらいまで歩いた。
一日歩いたので帰りはやや疲れたが、楽しい一日だった。
こういう休日もいいものだ。
December 31 ゆく年くる年2008年は仕事に追われた一年だったと思います。
転職して2年目ということもあり、任される業務も増えてきました。
と同時に、果たさなければならない責任も増えたわけです。
残業も休日出勤も増えましたが、それは自分に課された責任を全うするため。
要領が悪くて仕事が遅いという反省もありますが、確実に仕事を進めたいと思っています。
誰だって早く帰りたいし、休みの日には家でのんびりしていたい。
だけど、誰かがやらなければいけない仕事もあるわけです。
面倒くさくて、地味で、他人がやりたがらない業務。
その「誰か」に誰がなるか?
今年のブログを眺めて、「あまり出掛けていないなぁ」としみじみ思いました。
山にもあまり登っていないし、ツーリングにも出掛けていないし、新規の温泉開拓も・・・。
来年は、仕事の忙しさもありますが、メリハリつけていきたいと思います。
B級温泉めぐりツーリング。
夏山登山。
歴史探訪の旅・・・。
そして、楽しいブログにしていきたいものです。
いつもアクセスして下さる皆さん、どうもありがとうございます。
それでは、よいお年を。
November 16 ジェベル復活!!ジェベルが復活しました!
毎日乗っているわけではないけれど、いつもの場所にないと寂しい・・・。
今日、バイクショップに引き取りに行き、久しぶりのご対面。
ステーターという部品を交換したので、予算金額をはるかにオーバーしてしまったけれど、
やっぱりバイクに乗れるのは嬉しい。
本当は先週にも引取りの予定だったのだが、先週末は腰痛再発で歩行困難に・・・。
寝返りも打てないほど痛みがひどく、先週火曜日には午前半休をもらって病院へ。
まぁ、いつものことだけど、痛み止め薬よ湿布をもらって会社へ。
腰の調子はだいぶ良くなってきたけど、完全復活まではもうちょっとかかりそう。 November 02 ジェベル入院僕のジェベル250は只今入院中なのです。
先週、バイクに乗って実家に行くときセルが回りませんでした。
「しばらく乗っていなかったからかな?」
ジェベルにはキック式ペダルが付いているので、そっちでエンジン始動。
動き出せば、全く問題はなかったものの、エンジンを切って、再始動するときセルは動かず・・・。
そろそろ点検の時期だな、と思ってバイクショップへ。
去年バッテリーを換えたばかりなので、充電してもらえば大丈夫かなと思っていました。
今日、バイクショップから電話がありました。
「ステーターが寿命のようで・・・」
「ステーター??」
バッテリーに問題はなかったのだが、ステーターという電気系統の部品が寿命を迎えたようです。
ジェベルを買ってから約5万キロを走ったが、ショップに人によれば、もった方だとのこと。
で、ステーターって何かしら?
バイクは走りながら電気を作って蓄電するようだけど、その蓄電するためのパーツらしい・・・!?
とりさん、説明はこんな感じで合っていますか?
部品注文の上、交換ということで入院期間が延びました。
で、部品代が約3万・・・妥当な金額なのでしょうか?
目指せ10万キロ!という心意気なので、まだまだ乗りますよ。
せっかくの秋晴れの休日にバイクがないのは何ともつらい!
October 18 川苔山■滝めぐりの山行■
川苔山(かわのりやま)は標高1,363mの、奥多摩では人気のある山である。
奥多摩駅付近から分岐する日原(にっぱら)街道を奥へと進む。
道はだんだん狭くなり、僕の好きな”山奥ムード”を感じさせてくれる。
川乗橋から川乗林道へ入りたいのだが、ここは通年通行止めになっており、
いつも鉄格子の頑丈なゲートが僕の行く手を阻んでいた。
仕方がないので、わずかな空きスペースにバイクを停めようとしたところ、
管理人らしき老人が何やら僕に合図を送ってくる。
「ここに停めるな!」ってことかな・・・。
ところが、「ここから先は自己責任で・・・」ということで、ゲートを開けてくれるではないか。
ラッキーなことに、未実走の林道を走れることになった。
林道とはいっても、舗装林道である。
意外と道は整備されていた。
何故、いつも通行止めなのかよく分からない。
それより、何故今日は入れたのか、もっと分からなかった。
細倉橋でバイクを停めて、いよいよ登山道へ。
一般ハイカーの人たちは、この林道を歩いて登っているので少々申し訳ないような気もした。
登山道は歩きやすく、渓谷美が存分に楽しめる。
いくつかの滝や渓流の眺めを楽しみながら、歩いて行く。
しかし、この川苔山は遭難が多い。
転倒・滑落で死亡事故が多発しているのだ。
渓流沿いなので、雨あがりは増水するであろうし、滑りやすくもなる。
冬場は恐らく道が凍結するであろう。
どういう事情か分からないが、追悼のレリーフがあった。
昭和53年に18歳の若さで亡くなった人のものだった。
故人のご冥福を祈りながら、山道を進む。
やがて、ひときわ大きな滝の音が聞こえてくる。
百尋(ひゃくひろ)の滝だ。
見事な美しさ。
落差があるのだが、どことなく優しく、女性的な印象を与える滝だと思った。
山奥に年若くして隠遁した乙女・・・そんな娘はいるわけがない(笑)
しかし、そんな風に感じた。
百尋の滝のすぐ近くに断崖絶壁がある。
僕は勝手に”川苔パットレス”と名づけてしまった。
ここまでの道は、大したことのない山道だった。
ここからが登りの山道になる。
雑木林の中を歩くと、ところどころ紅葉が進んでいるのが分かる。
足元には落葉。そして、栗も沢山落ちていた。
秋を感じながらの山行は気持ちがよい。
夏場は暑すぎて大変だろう。この季節がちょうどよいのだと思う。
足毛岩を回るルートで山頂を目指す。
急登が続き、「これを登りきったら頂上に違いない!」と思いながら、3回もガッカリしてしまった。
そして、4回目でようやく山頂へ。
山頂は20人位の登山客で賑わっていた。
12時半頃だったので、ちょうど昼ごはんを食べている人が多かった。
僕もパンをかじりながら、持ってきたストーブでお湯を沸かす。
カップスープとコーヒーを入れた。
山で飲むコーヒーは格別な味わいがある。
それと、温かいものを食べると体が休まる。
ちょっと荷物にはなるが、山行を引き立てるアイテムであることには違いない。
山頂は広々としており、西斜面からは雲取山(東京都最高峰)方面がよく見える。
暑くもなく、寒くもなく、非常に心地よく、つい長居をしたくなったが下山を開始する。
紅葉の見頃は11月初旬だろうか。
天気にも恵まれた山行であった。
下山後は、奥多摩もえぎの湯で一汗ながしたあと、家路についた。
October 13 もう1年半?まだ1年半?先日、職場での何気ない会話の中で。
「旅人くんはここに来てどれくらいになった?」
「1年半になりました」
「あれっ?そんなもんだったっけ?てっきり3,4年になるものだと思ってたんだけど・・・」
同じようなことを他の人たちからも言われたのは、内心嬉しかった。
「もう1年半」と思うか「まだ1年半」と思うかは人それぞれだと思うが、多少なりとも存在感が出てきたのは嬉しいことだ。
と同時に、任される仕事も増えてくるし、頼まれごとも増えてくる。
忙しい時に、あれもこれもとやるべきことが増えていくと手が回らなくなる。
しかし、頼む人は「こいつならやってくれるだろう」と思っているはず。
松下幸之助の『社員稼業』(PHP文庫)という本の中に、こう書かれている。
>自分は単なる会社の一社員ではなく、社員という独立した事業を営む主人公であり、経営者である、
>自分は社員稼業の店主である、というように考えてみてはどうか・・・自分が社員稼業の店主であるとなれば、
>上役も同僚も後輩も、みんなわが店のお得意でありお客さんである。
小さなことでもコツコツと積み重ねることによって、実力がついていくのだと思う。
一夜にして急成長を遂げることはなくても、昨日より今日、今日より明日、と毎日の積み重ねが大事だと思う。
そんな当たり前のことに、何度も何度も転職を重ね、30代半ばに差し掛かってようやく気がついてきたようだ。
September 21 宴会キャンプツーリングバイクの先輩であり、旅仲間でもあるヤマハ氏からキャンプツーリングのお誘いを受けていた。
以前、湯西川温泉へキャンプツーリングに行った仲間で富士五湖へ行こうというものだった。
しかし、前日まで台風の進路によって決行が危ぶまれていた。
中央道談合坂SAに14時集合。
何ともツーリングとは思えないような遅めの集合時間である。
しかし、今回の目的は「走る」ことではなく、キャンプ場での「宴会」なのだ。
朝は台風一過の青空だった。
自宅アパートから調布ICまでは多少混んでいたが、高速道路は順調そのものだった。
談合坂SAでヤマハ氏とCBR氏と合流。
ヤマハ氏は、今回はNinjaでの参加だったがこの記事ではヤマハ氏としておこう。
もう一人の参加者「先生」とは、河口湖IC近くのスーパーマーケットで合流。
ここで宴会用の食材を買出し。
バイクに積み込んで、いざ宴会場、いや、キャンプ場へ!
富士五湖といえば、河口湖や山中湖が有名だ。
今回は西湖というマイナーな湖へ向かう。
あまりメジャーでない分、静かな印象がした。
西湖自由キャンプ場。
湖畔にあるキャンプ場で、テントサイトは広々としている。
バイクの乗り入れOK,直火OKというありがたい設定で、一人一泊800円。
しかも、隣りには温泉施設もあるという、上物のキャンプ場だ。
それぞれテントを張って、缶ビール片手に乾杯!
火を起こしてまずは焼肉。
続いて、さざえの壺焼き。
炭火で焼くので、美味さ倍増!
殻付きのホタテも焼いてみた。
山の中なのに、海の幸に舌鼓。
他にも、秋の味覚・サンマ焼き、野菜炒め、焼きそば…。
メタボを気にしながらも三十路ライダーたちは日頃のストレスを発散するように、
食べて飲んで語った。
僕が自転車で旅をしていた20代前半の頃。
あちこちを走り回って、心地よい疲れとともにキャンプ場に到着するのが常だった。
そこに「おっさん」たちが宴会をしている。
「どこを周ってきたんですか?」
「今日は特に出掛けてないなぁ…。」
<この「おっさん」たちは何のためにキャンプ場に来ているのだろう?もっと真面目に旅をしろ!!>
あれから10年以上の年月が流れ、僕はあの日の「おっさん」と同じことをしているではないか(笑)
あの頃は旅をすることがメインだった。
今回はキャンプ場で仲間たちと楽しい時間を過ごすことが目的なのだ。
年齢とともに趣向も少しずつ変わるのだろう。
焚き火を眺めながら、あのときの「おっさん」たちの気持ちが、少し分かったような気がした。
夜遅くになって雨が降り始めたので、しばらくして宴はお開きに。
翌朝、三十路ライダーたちはそれぞれの家、職場に帰って行くのだった。
帰りは談合坂SAで解散。
トコトコ走るジェベルを颯爽と追い抜いていくビッグバイクたち。
そういえば、13年前の夏。
北海道を旅していた僕の自転車を、彼らは同じように合図を送って追い抜いていったっけ。
September 13 鉄道博物館へGO!まず始めに言っておこう。
「僕は鉄道オタクではない」と。
JR大宮駅から埼玉新都市交通ニューシャトルに乗り換えて、降り立った駅は…鉄道博物館駅。
ニューシャトルという横文字の名前とは裏腹な、どこかのローカル線を思わせるような小さい車両だった。
駅と博物館は直結しており、ゾロゾロと人の流れに乗って歩いてゆく。
周りは、家族連れが多かったが、カップルや女性もいて、客層は全くオタクっぽくなかった。
いや、30代独身・天気のいい連休中に一人で鉄道博物館へ足を運んでいるこの僕こそ、周りから見たら「オタク」だったかも。。。
それはともかく、入場券を…と、ここはSuicaが使えるのだ。(PASMOはもとより、関西のICOCAも使える)
入場料は一般1,000円。
開館当初は大混雑だったようで、今では少しは落ち着いたかなと思ったがそれでも人は多かった。
僕が入場したときは、ちょうど蒸気機関車のデモンストレーションが始まっていた。
ポオーッという汽笛が館内に響き渡る。
僕はSLに乗ったことも、見たこともないが何故か汽笛の響きが懐かしさを思い起こさせる。
館内は鉄道の歴史が分かるような展示になっており、実際の車体が保存されている。
「うわ~、懐かしい!」と思ったのは、ブルートレイン。
昔に東京~下関間を「あさかぜ」「富士」で乗ったことがあるのだ。
深夜に途中駅で停車し、再び発車するときのガタンという揺れが懐かしく感じる。
国鉄時代の特急列車も懐かしい。
いや、乗ったことはないのだが、そのスタイルと色が歴史を感じさせる。
国鉄が民営化されたときに、僕たち家族は東京へ引っ越してきた。
ちょうど、僕が中学1年生になるときのことだ。
TVニュースでJRの出発を記念するシーンが流れていたが、あれから20年以上経ったのか…。
JNRのロゴも今では見られないわけか。
貨物列車も展示してあった。
これは精悍な顔つきでカッコよかった。
確かこのタイプの車両でブルートレインも牽引していたのではないかな?
そして、ありました!0系新幹線!
今の新幹線はもの凄い流線型になっているけど、こんな丸顔はかわいらしい。
当時、世界最高の技術を結集して作られた新幹線。
日本が元気だった昭和30年代の高度成長期を象徴するようなものだ。
既に東海道新幹線では姿を消した0系。
山陽新幹線でもこの秋で引退が決まっているらしい。
最後くらいは東京~博多間を、食堂車付きで復活させて欲しいものだ。
展示車両は他にも、東北新幹線や通勤型電車、皇室のお召し列車もあった。
館内はとても広く、レストランやショップもある。
お昼はせっかくだから、駅弁を食べよう。
ということで、買ったのはちらし寿司弁当(850円)。
カニやイクラも載っていて見た目も鮮やかで、美味しかった。
屋上が展望デッキになっているので、そこで食べることに。
屋上からは隣りを走る東北・上越新幹線の雄姿や、在来線の姿も見ることができる。
他にも屋外に休憩スペースとして開放してある実際の車両の中でも飲食OK。
ちょっとした旅行気分も味わえる。
ただし、昼時は混み合うのが難点。
昼食後、鉄道模型ジオラマを見た。
解説付きで見ることができ、これはかなりの長蛇の列。
僕はたまたま運よく並ばずに入ることが出来た。
規模の大きなジオラマセットで、子どもたちは大喜びだった。
鉄道模型が通るたびに「でんしゃ!でんしゃ!」と一人の子どもが叫べば、他の子もそれにつられて「でんしゃ!でんしゃ!」と。
子どもたち(特に男の子)にとって、電車と車は永遠の憧れなのかも。
その他、ミニ列車の運転体験コーナーや、運転シュミレーターの体験コーナーもあった。
ちょっとやってみたかったが、45分~60分待ちの札がかかっていたので断念。
ゲームの「電車でGO!」をやるのと同じようなものだから…。
帰りに近所のブックオフで「電車でGO!」を探してしまった僕は…。
冒頭で「鉄道オタク」ではないと宣言したが、「鉄道好き」であることは間違いないようだ。
ちなみに、子どもの頃から地図を眺めては空想の旅に出ていた僕だが、時刻表を見て空想の旅に出ていたことも事実である。
August 31 幻と消えた野球場期待を抱いて見ていた北京オリンピックの野球だが、残念な結果の終わってしまった。
最近は野球人気も低迷しており、TVでナイター中継がないこともしばしば。
僕が子どものころは、楽しみにしていたアニメ番組などが野球中継のために潰れて、がっかりしたものだ。
今とは対照的に、昭和20年代~30年代にかけて、日本は野球人気に沸いた(らしい)。
特に戦後、プロ野球球団が次々と誕生した。
今ではなくなってしまった球団もあるが、その変遷を見てみると興味深い。
阪神、南海、阪急、近鉄、東急、西武、国鉄…親会社に鉄道会社が多かったようだ。
戦後の復興と開発に鉄道が大きく寄与した結果なのだろう。
また、東映、大映といった映画会社が親会社だった球団もあり、復興期の国民に「夢」を与えたのだろうと勝手に思ってしまう。
ところで、その球団が使用する球場である。
後楽園球場、甲子園球場などは有名な球場だが、国鉄スワローズの本拠地となったこの球場の名はあまり知られていない。
「グリーンパーク球場」
この球場が誕生する前の話。
この球場ができる前、その場所は中島飛行機の工場があり、主に隼や零戦などの戦闘機を生産しており、日本を代表する航空機メーカーだった。
しかし、終戦後、GHQにより会社は解散、工場は閉鎖された。
ちなみに中島飛行機のエンジン技術を自動車に応用した会社が、富士重工業である。
中島飛行機の工場跡地に建設された球場が「グリーンパーク球場」だった。
終戦後、一帯は米軍に接収され、グリーンパークと呼ばれたことが名前の由来である。
収容人数51,000人というから、現在でも通用する大規模な球場だったらしい。
ここを本拠地にしたのが国鉄スワローズだった。
中央線・三鷹駅から中島飛行機工場引込み線を利用した路線も作られた。
武蔵野競技場線といい、東京駅から直通列車も出ていたようだ。
ちなみに、この武蔵野競技場線は現在では廃線となっている。
グリーンパーク球場は昭和26年(1951年)にオープン。
しかし、砂埃が舞うグラウンドで不評だったらしい。
また、都心から遠く(今となってはいい立地条件だと思うが)、交通の便が悪かった。
そして、神宮球場が米軍から返還されたこともあり、わずか1シーズンで幕を閉じた幻の球場となってしまった。
自分が住むアパートから、歩いてちょっとのところにこんな歴史があったとは驚きだ。
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